「専門家コラム」カテゴリーアーカイブ

お父さんのためのお魚獲り

毎日夜遅くまで働いているため、平日は子どもと接する機会がほとんどないといったお父さんは多いのではないだろうか。

その分たまの休みには、子どもと一緒に過ごしたいところだ。そんな時に、小さいお子さんがいるお父さんにとって、子どもから「お父さん凄〜い」と尊敬の眼差しを浴びれば、きっと仕事の疲れも癒えるに違いない。

今回は「お父さん凄〜い」を得る一例として小川でのお魚獲りをお薦めしたい。

都市部に住んでいるお父さんであれば、お魚獲りに行くとなると、郊外へ出かけないと魚がいそうな良い小川がないのではと思いがちだ。だが、東京であっても、意外に近くにいたりする。

例えば東京の多摩地域に流れる玉川上水やその分水は、意外にも水の流れが保全されており、用水を覗くと結構魚が泳いでいるのが見える。東京都小平市では、玉川上水やその分水がよく保全されており、用水を辿って歩けば、魚が見られる場合がある。

小川の流れは、多摩川からの取水に制限があり、水量は豊富ではない。そのため、最終的には流れが先細りして無くなる場合があるが、そのおかげで、止水域の様な箇所も作られ、多様性のある生息域が作られているとも言える。

小平市を流れる玉川上水の分水には、新堀用水、小川用水、田無用水、鈴木用水、大沼田用水、野中用水、砂川用水、関野用水があるが、関野用水以外は流水が見られる。

IMG_0654先日大沼田用水を訪れたが、流末近くが、緩い流れとなっており、いい感じの小川があった。この様な雰囲気の小川には、生き物がいる可能性が高いので、事前調査の上、子ども一緒に釣竿や網を持ってお魚獲りをしてはいかがだろうか?

(用水路の概略の場所は小平市のHPが参考になる。)

生息域を壊す様な行為や大量に生き物を持ち出しが無いよう配慮しつつ、小川での魚獲りを楽しんで欲しいと思う。

「お父さん凄〜い」という声がたくさん聞こえてくるような、身近な小川が増えて欲しいと思う。

 

小川などの水域の問題を解決する農法は?

9月になり、我が家の家庭菜園では冬野菜の準備を始めた。家庭菜園2年目にして今回は初めて、ハクサイとキャベツの種まきからの栽培に挑戦している。キャベツの発芽が悪く、一週間経ってから再度種まきをするという軽い失敗はあったものの、今は少しづつ成長を見せている。冬に向けての収穫ができるか楽しみである。

ところで、農業にはいくつかの農法があるが、私の場合、一年ほど前に自然農という農法を知り、見よう見まねで実践しているところだ。

自然農とは、川口由一さんが提唱する農法で、耕さない肥料・農薬を用いない虫や草を敵としないという3原則で実践している農法だ。農薬や化成肥料を使う慣行農法や基本無農薬で有機肥料を使う有機農法とも異なる農法である。

ここで注目したいのは肥料・農薬を用いないという点だ。小川などの水域の問題解決にプラスに働くものなので注目してみたい。

まず肥料に関してだが、施した肥料の多くが作物に利用されずに雨水に溶けて、地下へと流出しているという事が起きている。

肥料の成分には、窒素やリンが含まれていて、雨水に溶けて地下水となる。窒素やリンを多く含んだ地下水はやがて川へ流れて、海までいく。これにより川や海は、栄養の多い状態、つまり富栄養化した状態になる。この栄養は、水中の植物プランクトンの餌になるので魚が増えて良いんじゃないかという発想になるが、富栄養化が過ぎると新たな問題が発生する。海の養殖場で赤潮によって魚が死んでしまう問題があるが、赤潮の問題は水域の富栄養化が原因とされている。富栄養化状態では、植物プランクトンが大発生することがあり、そうなると、水中の酸素が大量に消費され、水中の酸素濃度が低下し魚が生きていけなくなるのからだ。

もちろん富栄養化の要因は、肥料だけでなく、生活排水の川への流出も要因の一つであるが、肥料を用いない自然農の考え方水域の富栄養化の影響を減らす向に働く農法と言える。

また農薬に関してだが、農薬の影響で絶滅リスクが高まっている生き物がいる。

例えば水田環境では、水田の小川に生息するメダカやタナゴは絶滅危惧種となっていて、その要因として、圃場整備による生息域の破壊や外来種の影響があるが、農薬の影響もある。もちろん農薬の種類や散布量によっては個々の生き物に対する影響度は異なるだろうが、農薬は生き物にとってリスクだ。

低農薬で生き物に優しい農業を謳う場合があるが、無農薬である方がなお優しい。

無農薬でなされる自然農は生き物の絶滅リスクを減らす方向に働く農法と言える。

以上のように、自然農は、水域の富栄養化リスク生き物の絶滅リスク減らす方向に働く農法だと言える。

環境問題を無視できないこのご時世、環境のために何かできることはないだろうか?家庭菜園をやっている私は、肥料を用いない自然農で小川や海に良いことをやろうと思う。

桃太郎に出てくる川はriver?

最近、英語の研修を受けており、効果的な英文を書くための方法を学んでいる。

効果的な英文を書くには、目的と対象を捉えること、そして対象となる相手によって相手が理解できるような適切な言葉を選び、情報を正確、明確、簡潔に伝えることが大事であるという。

その研修で印象に残ったトピックがあるので1つ紹介したいと思う。

単語は正しい意味のものを使いましょうという話で、桃太郎 お話しが例にあがった。

「昔々あるところにおじいさんと、おばあさんがいました。おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。」というあまりにも有名なくだりがあるが、おばあさんが洗濯に行った川は英語でなんというだろうか?

img_7466その前に、その川のイメージがバラバラだと正解を出せないので、昔話の絵に描かれるような里山を流れる小川をイメージすることにしよう。

前置きでだいぶヒントを出してしまっているかもしれないが、riverと答えた方は残念ながら不正解だ。

riverは、海や湖へ流れ込むような比較的大きな流れをいう。小川ということであれば、brookが正解だ。両者の違いは川の大きさにあるのだ。しかしどこまでがriverでどこからがbrookなのかというと厳密な定義はない。

小川と訳される単語には他にもcreekやstreamがある。しかしcreekは、アメリカ、カナダ、オーストラリアでは小川という意味であるが、イギリスでは入り江を意味する。

また、streamには、小川という意味の他に、流れという汎用的な意味もある。

なので一語一義の原則を用いるならば、brookがより適切と言えるだろう。

ちなみに、おじいさんは、山へしば刈りに出かけるが、「芝刈り」ではないことにお気づきであろうか。「芝刈り」だとすると、山にあるゴルフ場の芝でも整備しに行っているように思えてくるがそんな訳はない。

おじいさんが出かけたのは、「柴刈り」であって、雑木林へ薪に使う小枝を集めに出かけたのである。ここで言う「山」は雑木林の意味合いだ。

話をriverとbrookに戻そう。

では大きさで決まると言うなら、同じ川でも上流の小さな流れと下流の大きな流れがあるので、上流と下流で呼び名が変わるのだろうか?こんな事を考え出すと夜も眠れなくなりそうなので、桃太郎の読み聞かせで眠りにつきたいものだ。

〇〇村誕生ラッシュ

綾瀬はるかさん主演のTBS系ドラマ『義母と娘のブルース』を毎回楽しみに見ている。

その綾瀬さんの名前だが、名字由来netさんのランキングによると全国におよそ60人程度しかいないレアな名前だ。

名字以外では、綾瀬は川の名前や地名としても使われている。

埼玉県、東京都を流れる綾瀬川(あやせがわ)は利根川水系中川の支流である。帰省した時にたまに釣りに行く小川であり、個人的には馴染みがある好きな川だ。最近では水質も向上し、アユの遡上も確認される程だ。

綾瀬川に隣接する場所には、綾瀬という地名が2つ残っている。

上流域には、埼玉県蓮田市綾瀬があり、かつての埼玉県南埼玉群綾瀬村にちなむという。

一方、下流域には東京都足立区綾瀬があり、かつての東京府南足立郡綾瀬村にちなむという。

市制・町村制が施行された年ということもあるが、偶然にも、ほぼ同じ時期に綾瀬川の上流と下流に同じ名前の村ができたというのは面白い。南埼玉群の方がひと月年上だが、「名前がカブってる」的な話は出なかったのだろうか。少しきになってしまう。

上流の綾瀬村も下流の綾瀬村も綾瀬川沿いにあり、その川の名に由来する。では、綾瀬川の由来はどうだろう?

江戸時代以前の綾瀬川は、ひと雨降る度にすぐ流れが変わってしまうほど、川筋が定まらない川だったという。そのため、多くの「瀬」が乱流して、その様子が「綾」に似ていたとする説と、流路を度々変えることから「あやしの川」と呼ばれるようになり、それが転化したという説がある。

綾という字のとても上品なイメージとは異なり、自然の脅威が影響していたとは、ちょっと意外である。

また、神奈川県にも綾瀬市が存在するが、かつての高座郡綾瀬村にちなむ。

こちらもなんと、明治22年に成立している。
明治22年は「綾瀬村」の誕生ラッシュだったのだ。

ちなみに神奈川県の綾瀬村の名前の由来は、3つの説があるそうだ。当時、市内を流れる蓼川(たでがわ)が「綾瀬川」と呼ばれていたからという説。河川の支流(瀬)が綾をなしている様子からついた説。また、当時、養蚕が盛んであったことから、その絹でできた綾にちなんでいるという説。真相や如何に?

ドラマでは、「奇跡はけっこうよく起きる」というセリフが印象的であったが、綾瀬村の誕生ラッシュも奇跡の1つだったのかもしれない。

遊べる小川の町、◯◯町

埼玉県比企郡川島町は、埼玉県のほぼ中央に位置している町だ。

北は都幾川・市野川に、東は荒川に、南は入間川に、西は越辺川に接しており、四方を川に囲まれている。地名が示す通り川に囲まれた島と言える。

町は荒川の低地に位置しているため、田園地帯が広がり、多くの水路(小川)が張り巡らされている。

希少な淡水魚の棲む水路もあり、多様性豊かな自然が残されている貴重なエリアだ。

「都会に一番近い農村」というキャッチフレーズが既にあるようだが、田んぼを潤す水路がたくさんあるという事も個人的に強調したいところだ。

水路と言えば、三面コンクリート化されているものが多いが、このエリアの水路は素掘りが多く、このエリアの1つの特徴と言える。

IMG_0409水路を見て歩いていると、こんな浅くて小さい水路にも、小さな魚がいたりする。

一時的に閉じた水域になっていて、人の気配に気づくと、右往左往する小魚の群れが間近に見る事が出来て面白い。

こんな場所なら小さな子どもでも、魚捕りが楽しめるかもしれない。

さてこの魚の正体は?

道路から網で簡単に掬って捕まえられそうかと思いきや、思ったよりもすばしっこい。やはりここは釣ってみることに。

IMG_0412可愛いサイズのコイだ。

運が良いとお手軽な釣りが楽しめるかもしれない。

川島町は、あそべる小川の町だと思う。

そんな川島町の中でも指折りの小川は、都幾川から取水している長楽用水。

長楽用水の水中映像はこちらからごらんう

設定で「画質=1080p」を選 ぶと最高画質でご覧いただけます。

メダカは田んぼで育てるべし!

ミナミメダカの学名である Oryzias latipes は『稲の周りにいる足(ヒレ)の広い』という意味だ。(Wikipedia)

メダカは田んぼと密接な関係にある魚であることをとてもよく表現していると言える。

しかしながら、メダカは絶滅危惧種に指定されているだけあって、簡単にメダカが見られる状況ではもはやない。

メダカの生息できる環境が少なくなっている事が理由だ。

そもそも田んぼが減っている、小川(水路)がコンクリート化されて流れが速すぎる、メダカや小さな生き物が生きていけない程の農薬が使われている、などいくつかの要因が挙げられるが、田んぼが小川と繋がっていないという理由もある。小川の水をポンプで吸い上げて田んぼに供給しているケースがそれだ。

田んぼでは、水が張られる期間、メダカの餌となるプランクトンがたくさん増えるので、メダカにとって良い成長の場となるのだが、田んぼと小川が繋がっていないと、メダカが行き来ができないことになる。

なので、小川を泳ぐメダカがの姿が見られても、稲の周りを泳ぐメダカの姿が見られることは、よりレアなケースと言える。

IMG_0207ならば、稲の周りをを泳ぐメダカを身近に見たいと思い、プラ舟を使って、庭に田んぼを作ってみた。一応、左側が田んぼで、右側が小川(水路)をイメージしている。

IMG_0206苗は、昨年バケツ稲作で収穫した種籾から育てた苗を使った。1ヶ月でこのサイズに成長してくれた。

IMG_0208

そして、上の写真は田植え直後の様子だ。(6月10日)

それから2週間後、稲の成長も順調に始まり、良い感じになってきたが、ここで、気になるのが、ボウフラの発生だ。

IMG_0289

流れのない水辺があるとボウフラが発生しやすくなるが、そこはメダカの力を借りれば、数を抑える事ができる。実際この田んぼでもボウフラは発生したが、メダカの投入後はほとんど見当たらないようになった。

メダカの力を侮ってはならない。

一方で、メダカが一所懸命に狩をしている姿は、ついつい応援してしまう。

遊泳力の差はかなりありそうなのだが、ボウフラも必死に逃げるため、狩はそんなに簡単ではないようだ。

行け!そいつだ!あぁ〜と。

感嘆の声をあげることも割と多い。

ボウフラvsメダカの攻防戦は意外に面白いかもしれない。

サッカーW杯の後は、稲作とメダカ飼育でそんな攻防戦を観戦してみてはいかがだろうか。

『春の小川』はどこにある?

唱歌『春の小川』はご存知であろうか?

実は、歌のモデルとされる小川が、渋谷区にあったというから驚きだ。

モデルとされる小川は、代々木四丁目、五丁目を流れていた、河骨川(こうほねがわ)という小川。渋谷川水系の支流だ。

IMG_5023コウホネという黄色い花を咲かせるスイレン科の水生植物が自生していたことが名前の由来だ。

作詞家の高野辰之が代々木の地に居を構えていた当時は、水田が広がっていて、自宅からほど近いこの小川をモデルに歌を作詞したのではないかと言われている。

しかし、都市化とともに生活排水が流れ、東京オリンピックが始まる直前頃には暗渠になってしまった。

かつての流路は、小川の蛇行を残したまま、遊歩道になっているところもあるが、痕跡がほとんど消滅してしまっているところもある。

渋谷川水系

河骨川は下図の河骨川の谷を流れていた。河骨川は宇田川(うだがわ)の支流であり、宇田川は渋谷川の支流だ。

河骨川の位置を確認してみよう。

薄い緑色が台地で、薄い黄色がより低い場所を示している。

図の中央下部に、宮益坂、道玄坂と記載があるところが渋谷駅。

Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル14-1-off-地名入り編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

以前のコラムでも書いたが、渋谷駅のある渋谷はその名の通り谷に位置しており、渋谷駅のあたりから二本の鹿の角のように谷が延びている。その角の右側は渋谷川(穏田川)が武蔵野台地を削って作った谷であり、左側は渋谷川の支流である宇田川や河骨川が作った谷だ。

河骨川と宇田川の谷が合わさる場所は、ちょうど小田急線の代々木八幡宮駅だ。

標高を示す地図で表示すると、渋谷が谷の街であることがよくわかると思う。

それでは春の小川の痕跡をいくつか紹介したいと思う。

春の小川 水源

IMG_0118車の左側にあるマンション敷地内には、かつて旧侯爵 山内豊影邸の池があり、その池が河骨川の水源の1つであったそうだ。「春の小川 水源ココ」という看板が電柱の上に貼ってあるが、見落としやすい。小川の流れは、写真の左から右。

小田急線沿いの暗渠

IMG_0067小田急線 参宮橋から代々木八幡の区間は、線路沿いに暗渠が残る区間だ。

河骨川と宇田川の合流地点IMG_0065

富ヶ谷一丁目で河骨川が宇田川に合流する。写真は奥から手前に向かって河骨川が流れていた。

宇田川遊歩道

IMG_0053富ヶ谷一丁目から下流の宇田川の暗渠は、レンガを敷き詰めた、遊歩道として整備されている。ゆるい蛇行具合が小川の痕跡を思わせる。遊歩道沿いにはおしゃれなカフェもあるので、散歩の途中に寄ってみると良いかもしれない。

まとめ

今は暗渠となってしまった河骨川であるが、高野辰之が見た春の小川に想いを馳せながら、散歩してみるのはいかがであろうか?


春の小川を歩いてみたくなったら、こちらのぶらり散歩ツアーがおすすめです!

代々木・渋谷の地名・地形・歴史を感じながら散策してみませんか?
https://tabica.jp/travels/4430

水槽・池のメンテナンス時に気にすべき事

皆さんは、蚊に効く殺虫剤や忌避剤は正しく使っているだろうか?

先日、蚊に効く「おすだけノーマットスプレー」を人体用虫除けスプレーと間違えて、左右の手の甲にワンプッシュしてしまった。

もちろんこのスプレーは、肌に直接スプレーするものではなく、空間に噴射して、蚊を駆除するものなので、間違った使い方である。絶対にやってはいけない事である。

しかし、間違えて手の甲に噴射してしまった結果、まさかの二次災難にまで発展してしまった。

まず、一次災難としては、自分の手の甲がヒリヒリとしびれてしまった。噴射後30分後から違和感が発生し、3~4時間程は違和感が続いた。

そして、二次災難としては、小川で採取したメダカ(10匹ほど)を飼育している池のメンテナンスをするために、殺虫成分が手についたまま、手を池に入れたため、殺虫成分が池に入り、池のメダカが全滅に追い込まれてしまった。

こんなおバカな事はあまりしないと思うが、水槽や池で魚を飼育するときに、気にしておかなければいけない事だと思ったので記載しておく。

気にすべきこと

ピレスロイドを成分とするエアゾール(スプレー)タイプの殺虫剤や燻煙剤を使用する時は、魚類のいる水槽(池)に成分が入らないようカバーをするとか外に出すとかの注意が必要。

もし、噴射後に手に付着している可能性がある場合は、石鹸で手を良く洗ってから、水槽や池のメンテナンスをするのが無難かと思う。

ピレスロイドは魚類に対しての毒性が強く、魚の神経に強く作用して麻痺させるため、飼育魚に対する使用上の注意が設けられているのだ。

今回感じたのは、ピレスロイドの魚毒性の強さだ。二次災難が起きたときのピレスロイドの体積分率を推定したいと思う。

池の水が約40Lとし、スプレーの1プッシュで手に付着した量を約0.001mLと仮定(製品中のピレスロイドの含有量を10%とする)、そのうち8割程度が手から池の水へ移動したと仮定。

0.001mLx0.1×0.8/40L=2ppb(10億分の2)

想像しにくい数字になってしまったが、つまりメダカにとって40Lの水槽に霧一吹きでも十分致命的な量であったと言えよう。

ふりかえり

まさかこんな事になるとは。せめて気づいた時点で、汚染のない水槽へメダカを移しておけば、状況は違ったかもしれない。判断を間違ったと思う。

ちなみに、もし人体用の虫よけスプレーを手につけた状態で、同じ事をしたらどうなのだろうか?という疑問が湧いた。

我が家で使用している人体用虫除け(フマキラー スキンベープミスト)の成分について調べてみた。

改めて知ったのだが、12歳未満の小児に使用する場合、使用制限があったのだ。

うちの子達に、この使用制限を守って使っていただろうか。ここでも改めて反省する。

この使用制限は、ディート(DEET)という成分によるものだという。

では、魚への影響は?

National pesticide information center によると

とある。

魚への毒性を低いとする記事もあるが、どちらが正しいのか分からないが、いづれにせよ、用心するに越したことはない。

ディートが魚への影響が強いという立場をとるならば、人体用虫よけスプレーを手に塗布して、その手を、水槽(池)へ入れることは、魚を危険にさらす行為になるはずだ。大事な飼育魚を危険にさらさないためにも、ディート成分をよく石鹸で洗い流してから、水槽(池)のメンテナンスをする方が無難だ。

はっきりした記憶ではないが、人体用虫よけスプレーでディート成分を手につけたまま水槽に手を入れた可能性が過去にあるかもしれない。

飼育魚が、やけに興奮状態になって、水槽を飛び出すような事を数回経験しているが、まさかディートやピレスロイドの影響ではなかったか?なんてことも考えてしまった。

今となってはなんとも言えないが。

まとめ

ピレスロイドやディートを使った殺虫剤や忌避剤を使う時は、大切な飼育魚がダメージを受けないよう、水槽や池に成分が混入しないように注意しないといけない。

リスクを全く気にせずに殺虫剤や忌避剤を使う事がないよう自戒を込めて気をつけたい。

それと、「おすだけノーマットスプレー」の製品形状は、人体用虫よけスプレーと間違わないよう形状を工夫して頂けると良いと思う。

参考:

KINCHO ウルトラ害虫大百科
National pesticide information center
〜化学ミュージアム〜 短な化学探訪

 

大人になるとなぜ川が好きになるのか

先日、渋谷の昔の姿を知りたいと思ってYoutubeの動画(『街歴リサーチ!HISTRIP~時空船に乗ってアナタの街を再発見~』)を見ていた。

出演者の石原良純さんが渋谷川の事を解説したのを受けて、田中敦彦さんが「大人って川好きですよね」とコメントをしていた。

田中さんの印象だと「大人になると川が好きになる」ということらしい。

私もこの説について同意するところが大きいため、私なりの分析をしてみた。

大人になるとなぜ川(小川)が好きになるのか?

人間は水を求めているから

石原さんもコメントしていたが、人間は水を求めて生きている。

現代の生活では水は、水道の蛇口をひねれば水を簡単に得ることができる。しかし、当然のことであるが、昔の人々は、川の水や地下水を利用するしかなかった。だから、昔から、川の近くや地下水の得やすい場所に住みついた。また、水が得にく場所では、水路を掘って水が得られるようにした。昔の人にとって、川や地下水の事は、高い関心ごとであったのだ。

一方、蛇口から簡単に水が得られる現代の人にとって、川や地下水の事はあまり考えなくてもよい、低い関心ごとになってしまったのだ。

しかし、本能的な部分では、今も昔も変わりなく、水を求めているはずである。

若いうちは、世の中に溢れているさまざまな関心ごとに目が行き、水を求める本能的な部分は頭の隅っこに追いやられてしまっているのだと思う。

自分もそうであったが、学生時代に1年間通った渋谷にある大学キャンパスの裏には、いもり川という小川があったようなのだが、大学生活をエンジョイすることに頭が一杯で、川があったとは全く知らなかった。

だが大人になると、個人の差はあれ、ある程度の欲望を満たしてくる年齢となるそうすると、頭の隅に追いやられていた水を求めるという本能的な部分が再び現れてくるのだと思う。

だから、大人になると川が好きになってくるのではないだろうか。

 

原宿・渋谷になぜ坂が多いのか?

原宿駅の表参道口を出て竹下口へ向かうと、まず気づくのは、下り坂だ。さらに竹下口から竹下通りを望むとまた下り坂になっている。

一方、渋谷駅前にも宮益坂とか道玄坂とか坂が多い。

いったいこの坂はなに?と気になったことはないだろうか?

若者や外国人観光客で賑わう原宿・渋谷で、彼らがそんな疑問を持つ事はあまりないと思うが、原宿・渋谷を違う視点で見ることで新しい発見ができるかもしれない。

渋谷周辺の谷

まず見ていただきたいのが渋谷周辺の高低差がわかる地形図だ。
Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル14-1-off-地名入り編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

薄い緑色が台地で、薄い黄色がより低い場所を示している。

図の中央下部に、宮益坂、道玄坂と記載があるところが渋谷駅で、図の中央上部が新宿駅である。山手線の線路がうっすらと見えるのがわかるだろうか。

渋谷駅のある渋谷はその名の通り谷に位置しており、渋谷駅のあたりから二本の鹿の角のように谷が延びている。その角の右側は渋谷川(穏田川)が武蔵野台地を削って作った谷であり、左側は渋谷川の支流である宇田川や河骨川が作った谷だ。

坂の正体

Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル15-1-off 編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

で、原宿駅の坂の正体であるが、渋谷川の支流が作り出した谷の一部であったのだ。谷は明治神宮の清正井(きよまさのいど)のあたりから原宿駅を通り、渋谷川の谷と合わさっている。

今でこそ川は存在しないが、清正井の湧水を水源とする小川が原宿駅の下を通り、渋谷川へ落合っていたのだろう。江戸時代には、原宿のあたりに隠田村(おんでんむら)という村があり、その小川の水を利用して水田を営んでいたそうだ。

水田があったことは明治初期に作られた関東迅速測図からも見て取れる。

Trim関東平野迅速足図+地理院地図1-off -編集
※関東迅速測図(http://www.finds.jp/altmap/rapid_kanto.html.ja)を加工して作成

流行の最先端の原宿であるが、里山の風景が広がっていたかつての様子を、想像することはできるだろうか?

IMG_6614

写真は、以前訪れた東京都あきる野市にある横沢入という里山の風景で、小川の側に水田が広がっている。

あくまでも私の想像がではあるが、小川が流れるこんな里山の風景が原宿にあったのではないかと思う。

一方、渋谷駅前の宮益坂や道玄坂は、渋谷川が作った谷の一部だ。江戸の赤坂御門から大山(神奈川県伊勢原市)まで大山詣りに行くときに、渋谷川を越えるために使われた坂道だ。ちなみに宮益坂は、富士見坂とも呼ばれており、坂の上から富士山を眺める事が出来たそうだ。

富士山を見ながらお茶とだんごで小休止。なんだか昔の人が羨ましい気になってくる。

昔の景色に思いを馳せながら、渋谷川やその支流のあった谷を歩いてみては如何だろうか?

出典:農研機構(http://www.finds.jp/altmap/rapid_kanto.html.ja)