原宿・渋谷になぜ坂が多いのか?


原宿駅の表参道口を出て竹下口へ向かうと、まず気づくのは、下り坂だ。さらに竹下口から竹下通りを望むとまた下り坂になっている。

一方、渋谷駅前にも宮益坂とか道玄坂とか坂が多い。

いったいこの坂はなに?と気になったことはないだろうか?

若者や外国人観光客で賑わう原宿・渋谷で、彼らがそんな疑問を持つ事はあまりないと思うが、原宿・渋谷を違う視点で見ることで新しい発見ができるかもしれない。

渋谷周辺の谷

まず見ていただきたいのが渋谷周辺の高低差がわかる地形図だ。
Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル14-1-off-地名入り編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

薄い緑色が台地で、薄い黄色がより低い場所を示している。

図の中央下部に、宮益坂、道玄坂と記載があるところが渋谷駅で、図の中央上部が新宿駅である。山手線の線路がうっすらと見えるのがわかるだろうか。

渋谷駅のある渋谷はその名の通り谷に位置しており、渋谷駅のあたりから二本の鹿の角のように谷が延びている。その角の右側は渋谷川(穏田川)が武蔵野台地を削って作った谷であり、左側は渋谷川の支流である宇田川や河骨川が作った谷だ。

坂の正体

Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル15-1-off 編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

で、原宿駅の坂の正体であるが、渋谷川の支流が作り出した谷の一部であったのだ。谷は明治神宮の清正井(きよまさのいど)のあたりから原宿駅を通り、渋谷川の谷と合わさっている。

今でこそ川は存在しないが、清正井の湧水を水源とする小川が原宿駅の下を通り、渋谷川へ落合っていたのだろう。江戸時代には、原宿のあたりに隠田村(おんでんむら)という村があり、その小川の水を利用して水田を営んでいたそうだ。

水田があったことは明治初期に作られた関東迅速測図からも見て取れる。

Trim関東平野迅速足図+地理院地図1-off -編集
※関東迅速測図(http://www.finds.jp/altmap/rapid_kanto.html.ja)を加工して作成

流行の最先端の原宿であるが、里山の風景が広がっていたかつての様子を、想像することはできるだろうか?

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写真は、以前訪れた東京都あきる野市にある横沢入という里山の風景で、小川の側に水田が広がっている。

あくまでも私の想像がではあるが、小川が流れるこんな里山の風景が原宿にあったのではないかと思う。

一方、渋谷駅前の宮益坂や道玄坂は、渋谷川が作った谷の一部だ。江戸の赤坂御門から大山(神奈川県伊勢原市)まで大山詣りに行くときに、渋谷川を越えるために使われた坂道だ。ちなみに宮益坂は、富士見坂とも呼ばれており、坂の上から富士山を眺める事が出来たそうだ。

富士山を見ながらお茶とだんごで小休止。なんだか昔の人が羨ましい気になってくる。

昔の景色に思いを馳せながら、渋谷川やその支流のあった谷を歩いてみては如何だろうか?

出典:農研機構(http://www.finds.jp/altmap/rapid_kanto.html.ja)