田無用水を再生すると得られる3つの良い効果~その3

こんにちは。

前回に引き続き、田無用水の再生という思いを込めて、田無用水を再生すると得られる3つの良いことをご紹介したいと思います。

良いことその3〜夏の暑さを和らげる

近年、ヒートアイランド現象によって、東京の気温が上がっているということが報じられています。確かに暑いのは暑いのですが、実際のところ東京の気温がいつに比べてどれくらい上昇しているのでしょうか?

東京都環境局のデータによると、100 年前の東京では、猛暑日(最高気温が 35°C以上の日)はほとんど観測されていませんが、最近では、年間で 10 日を超える年が頻繁に現れています。

そして、過去 100 年の間に、日本では平均気温が約1.2°C上昇しているのに対し、東京の平均気温は約 3°C上昇しているのです。

約3°というと実感値がわかないかもしれないですが、気温上昇の影響として引き起こされる現象として、「利用可能な水が減少する」とか、「広い範囲で生物多様性の損失が起きる」という評価がされています。

先の見えない不安が増すことは間違いないでしょう。

では、私たちにできることはないのでしょうか?

『都市河川周辺における大気冷却効果に関する研究』によると、河川は周辺に対して冷源となっており,大河川で約4°C,小河川で約1°C,河川上の気温が低いことが示されています。

この考えに基づけば、田無用水が再生され水が流れることにより、用水沿いの地域は、少なからず気温が下がることが期待されます。

上記研究では、川幅12mの小河川の例で約1℃であるため、川幅1mの水路であれば、1℃よりずっと少ない低下になるかもしれません。

それでも、多少の効果は期待できるはずです。

まとめ

これまで3回に分けて、田無用水を再生すると得られる3つの良いことをご紹介してきました。

  1. 水の大切さを知ることができる
  2. 水が人を呼ぶ
  3. 夏の暑さを和らげる

「こんだけ良いことがあるなら、田無用水を再生させると良いね!」と多くの皆さんに思って頂ければ嬉しいです。

きっと西東京市に小川が増える力になるでしょう。

参考

東京都環境局ホームページ
都市河川周辺における大気冷却効果に関する研究
地球温暖化が進むとどうなる? WWFホームページ

田無用水を再生すると得られる3つの良い効果~その2

こんにちは。

前回に引き続き、田無用水の再生という思いを込めて、田無用水を再生すると得られる3つの良いことをご紹介したいと思います。

良いことその2〜「水が人を呼ぶ」法則

昭和27年、東京都より田無用水の流水の中止通知が川筋の町村長宛てに届き、時の町村長は直ちに連盟で流水継続の請願書を提出しています。その請願書の中で、とても素敵な言葉を使っているのが印象的でした。

「水は人を呼び人はそれを慕って集う。」

まさに言い得て妙な言葉です。おそらく当時も語り継がれている言葉なのだと思います。

そして請願書の中でもこの言葉通り田無用水流域へ人が集まり発展してきたことを書きつづっています。

この言葉は、ビジネスにおける集客やまちづくりの方法に対して良いヒントを与えてくれます。

田無駅の北口には青梅街道を挟むように2本に分かれた田無用水がありました。現在は蓋がされて「やすらぎのこみち」や「ふれあいのこみち」と呼ばれる歩道になっています。そしてこの周辺には商業施設もたくさんあります。

もし、この歩道機能を残しつつ、小川のような田無用水が再生されたなどうなるでしょうか?

この名言が正しいとすると、当時は生活用水を得るため水を求めて人が集まってきましが、現代においては、小川から安らぎやふれ合いを求めて人が集まってくるはずです。

そうなるとどうでしょうか?商業施設の人たちにとって、田無用水という小川が集客のツールになってくるのです。田無用水沿いのカフェなんて最高です。小川に流れる清流の音を聴きながら過ごす時間はどれほど贅沢な時間になるでしょうか。

最近ではタリーズコーヒーが水辺のカフェということで、隅田川沿いにカフェを運営していますが、「水辺の賑わいを創出し、まちを活性化する」といった考えと同じことが言えるんだと思います。

通勤路として使っていた人だってメリットがあります。それまで、駅から家までの通り道でしかなかった歩道が、心癒される空間に変わったらどうでしょうか?会社でイヤなことがあっても、気持ちよくそこを通ることで、少しは元気になったりするのではないでしょうか。

このように水があると人が集まり、まちが活性化するのです。

再生に向けての課題解決できる?

「歩道機能を残しつつ、小川のような田無用水が再生させる」ということは難しい課題ではありますが、通路が狭ければウッドデッキのような通路の下に水が流れるようにしたり、通路が広ければ、半分は通路、半分は水路のようにして、水辺に親しめるような空間を作ったりできると思います。できる場所から少しずつ、工夫していけば良いと思います。

田無用水の昔の様子

読んでいると心が躍ってしまう田無用水の昔の様子を文献から引用します。

「都会」と「用水という癒し空間」の融合は、新しい時代の潮流になってくると思います。

現代に生きる我々であっても水を慕う心は昔から変わっていないはずです。

参考
・『夏休み特別教室「田無の昔を知ろう」その2(水と暮らし)』田無市教育委員会
・『田無用水』保谷象一郎 著

 

田無用水を再生すると得られる3つの良い効果~その1

こんにちは。

東京都西東京市に住んでいる私は、西東京市に小川があってほしいな~と常々考えています。

例えば、「西東京市に小川を増やすなら、田無用水の再生」が良いとも考えたりします。

今日は、田無用水の再生という思いを込めて、田無用水を再生すると得られる3つの良いことをご紹介したいと思います。

田無用水って?

まず玉川上水から説明しないといけません。玉川上水は、江戸時代前期、江戸に飲み水を供給するために、多摩川の羽村から四谷大木戸まで地面を掘って作った水路で、玉川兄弟によって1654年に完成したと言われています。

その玉川上水の水を、小平市の喜平橋の辺りから分水して田無村を通り、石神井川へつながるように掘られたのが田無用水です田無用水が開削された時期は、最近の研究によると1700年(元禄13年)±2年と推定されているようです。この水は当時の田無村の人々の生活用水、農業用水として大切に使われてきました。

良いことその1〜水の大切さを知ることができる

江戸時代初期に青梅街道(当時は成木街道)ができる前までは田無村はありませんでした。理由は水が得にくい場所だったからです。田無村を含むこの地域一帯は、地下水位が低く、井戸を掘ってもなかなか水が湧かなかったようです。当時の井戸掘り技術では深い井戸を掘ることもできなかったのです。なので湧水や川の近くではないこの地域は、昔から人が住みつかない場所だったのです。

江戸幕府が開かれると、江戸城修理に伴い漆喰の材料である石灰を運ぶために成木街道が開かれます。そして、石灰運搬の継送り(荷物を宿場から宿場までリレー方式で受け継いで送ること)のため、近くの谷戸地域の住人が強制的に街道沿いに移住させられ、田無宿(田無村)ができたそうです。

もともと水が得にく場所で生活することになるので、当然水に困る訳ですね。なので、谷戸地域から数キロ歩いて水を汲み運んでいたのです。これは大変な労働であったことでしょう。

その後、玉川上水ができ、田無用水が分水されると、田無村の住人は谷戸地域から水を運ぶ苦労から解放されたのです。生活を大きく変えた革命的なことだったと思います。

一方、現在は水道の蛇口をひねれば簡単に水が得られます。だから水があってあたりまえ。水のありがたさを感じることなんて少ないと思います。

でも本当は、水って私たちの生活に欠かせない大切なものなんだということを、田無用水を巡る歴史が教えてくれるのです。

では、現在の田無用水はどうなっているのでしょう?

玉川上水から1日千トンが分水口から田無用水に流されていますが、流水があるところは分水口に近いところだけで、とうてい先の方までは水がきません。

圧倒的に流水量が少ないのです。

また、水路の多くに蓋がされていて、その上が歩道になっている箇所もあります。

その歩道は「やすらぎのこみち」や「ふれあいのこみち」と呼ばれていますが、「田無用水がむかし流れていました」ということを知っている人はどれほどいるのでしょうか?。

約270年間使用された貴重な文化遺産であることをもっと知ってもらうことで、多くの人に「水の大切さ」を学んでもらうきっかけになるでしょう。そしてそのアピールとして一番よいのは、田無用水を再生し、市民に親しんでもらうことではないでしょうか?

では、続きは次回。

参考
・『田無の昔を知ろう』田無市教育委員会
・『夏休み特別教室「田無の昔を知ろう」その2(水と暮らし)』田無市教育委員会
・『田無用水』保谷象一郎 著

子どもと小川で楽しむ方法~その3

こんばんは。

前回に引き続き、週末に子どもとお出かけするなら、小川へGoということで小川の楽しみ方をご紹介しています。

小川の楽しみ方 その3

見釣り(みづり)という釣り方をご存知でしょうか?

私はこの言葉を、琵琶湖周辺でタナゴ釣りを一緒にする仲間から教わりました。

読んで字のごとく魚がいるのを見ながら行う釣りの一つだそうです。

透明度が比較的高い小川では、上から魚がいることを確認できますので、そっと近づいて、お魚の目の前に釣り糸を垂らすことで、子どもでもいとも簡単に釣りを楽しめるです。

うまくいくと、いわゆる「入れ食い」状態といって、仕掛けが水中に入るとすぐにお魚が飛びついてきて釣れてしまうという体験ができます。

あたりまえの話ですが、釣れないで待っている時間が長ければ長いほど、子どもは飽きてきますからね。それは大人でもそう言えるでしょう。

何か釣りたいお魚に狙いをつけるなら話は別ですが、その小川にいるお魚を釣ってみたいということであれば、比較的気軽に楽しめると思います。

小川で見釣りを楽しむためのポイントを整理しておきます。

  • 季節は春から秋
  • 事前に小川の下見(魚がいるところを見つけるのが一番大変かもしれませんが…)
    ⇒小川の探し方はこちら
  • 漁業権が設定されている河川かどうかをチェック
  • 各都道府県の内水面漁業調整規則の禁止事項を守る
    とってはいけない大きさや期間、漁具・漁法の制限、水産動物の採捕の許可、禁止区域)以外に、解禁日など漁協が独自に制限しているものもあります。

漁業権や規則に関して、詳しくは各漁協に問い合わせるのが良いと思います。

ごみを持ち帰る、生き物を大切にするなど最低限のマナーを守った上で楽しみましょう!

 

 

子どもと小川で楽しむ方法~その2

こんばんは。

前回に引き続き、週末に子どもとお出かけするなら、小川へGoということで小川の楽しみ方をご紹介しています。

小川の楽しみ方 その2

いるっ、いるいる~」を楽しみましょう。

人間の狩猟本能に通じるものがあるのかもしれませんが、お魚を見つけるとなんだかエキサイティングな気持ちになってきます。

このいるいる体験は、透明度の良い小川沿いを散策することから始めましょう。

春から秋にかけて、小川を覗きながら、小川沿いを歩いていると、運よくお魚の群れに会うことができるかもしれません。

透明度が良い場合、お魚がいれは、上から泳いでいる姿を確認できます。もちろん、水草で水面が覆われている場所は別ですが。

image例えば、以前書いた記事でも、この楽しさを紹介させて頂きました。都市河川で護岸整備されてしまったような場所でも、生息できる環境が整っていれば意外にお魚が確認できるんですね。

私の場合、他にも玉川上水とか野火止用水小川用水など、再生された用水の小川でもいるいる体験を楽しんできました。

最近では下水道普及率が向上していますので、むかしは汚かった記憶がある川でも、いまでは比較的きれいになっている可能性もあります。

自分だけの小川を見つけて「いるっ、いるいる~」と子どもと一緒に楽しんでみてはいかがでしょうか?

子どもと小川で楽しむ方法~その1

こんばんは。

小学生以下のお子さんをお持ちのご家庭では、週末の予定に迷ったりしていませんか?

先週はショッピングモールモールへ行ったし、近所の公園も行ったし…

かといってお金をかけてディズニーランドへそんなしょちゅういけないし…

私も二人の娘がおり、そんな悩みを経験することがあります。

そんな時、たまには小川へ連れて行くっていうのはいかがでしょうか?

えっ、小川でなにするの?

そんな風にお思いの方はぜひこの後も読み進めてくださいね。

小川の楽しみ方 その1

一般的には魚獲りを一番に考える方は多いと思いますが、私はまず裸足で入ってみることをおすすめします。

例えば、武蔵野台地にある小川は湧き水から流れる小川であることが多く、水温が15から18度前後で年間を通して一定していると言われています。

なので井戸水なんかと同じく、夏は冷たく、冬は暖かく感じるのですね。

また、2つの小川が合流する地点なんかでは、2つの小川の水温の違いを感じ取れる場合もあります。

IMG_6445国立市にある府中用水と清水川との合流地点では、夏の太陽に暖められた府中用水の水温と、湧水から湧き出た清水川の水温の違いを片足ずつ感じることができるポイントがあります。

右足は温いけど、左足は冷たい!みたいになります。

実際に入ってみないと味わえないこの感覚。

まずは水温を肌で感じ取って欲しいと思います。

「その2」はまた次回としますね。

石神井川の水源を取り囲むようにできた遺跡とは?

こんばんは。

先日、東京都小平市にある鈴木遺跡資料館にいってきました。

この鈴木遺跡は、1974年に、鈴木小学校が作られるときに発見され、発掘調査の結果、石神井川の水源を取り囲むように広がる旧石器時代の大規模な遺跡だったということです。

学芸員の方曰く、当時は石器など道具を作る職人などが集い、賑わった場所だった考えているそうです。

しかし、縄文時代にはいると、水源は鈴木遺跡があった場所から、東に約1kmもずれてしまったようです。

なのでこの時期には、人が住む場所ではなくなって、狩りや木の実の採集の場所へと変わったと考えられています。

ではなぜ水源がずれてしまったのでしょうか?学芸員さんも、そこまでは分かっていないということでしたが、何か地下水脈の状況が、地震とかなんかの影響で変わってしまったんでしょうねと。

現代でも湧き水が枯れてしまう現象はよくあるようです。

記憶に新しいのは、2016年の熊本地震で、塩井社水源(しおいしゃすいげん)という南阿蘇にある湧水池が枯れてしまったそうです。

また、同地震で熊本市の水前寺公園の湧水池も水位が激減したのですが、約1ヶ月の間に水位が戻った例もあります。

このように地震と湧水が関連している例はありますので、縄文時代に入ってから、石神井川の水源を変える地震があったのかもねというのはあながち外れていないのかもしれません。

現代のように、人為的原因として、地下水を使いすぎたとか、地下の工事をして水脈を切断したとかはこの時代は考えにくいでしょうからね。

水源が移動したにせよ、湧水からは小川が流れていたことでしょう。

 

当時のイメージがこちらのサイトにありましたのでご興味のある方はご覧ください。とてもいい感じです^ ^

 

小川に親しめなかった谷間世代はどの世代?

こんばんは。

突然ですがあなたは故郷の小川の記憶はありますか?

私は子ども時代は埼玉県の大宮で過ごし、2つの小川の記憶があります。

小学校にあがる前(1970年代後半)だと思うのですが見沼たんぼをうるおす農業用水 見沼用水で遊んだ記憶があります。母や近所のお兄ちゃんたちと一緒にザリガニ捕りに出かけた記憶です。

当時は素掘りの水路だったのですが、その後は三面コンクリートと化し金網が張られ近づけないものとなりました。カッパのイラストが描かれた「入るな危険」の看板を思い出します。

もう一つは芝川です。見沼たんぼには芝川という川も流れていましたが、当時は悪臭が漂う汚染された川で有名でした。

なので私にとって故郷の小川の記憶は見沼用水や芝川の記憶になりますが、たっぷりと小川で遊んだという記憶ではありません。

「川はあっても遊べない」そんな時代だったのです。

小川に親しめなかった谷間世代

でも私だけが不運な時代を過ごした訳ではなく、この時期は広く河川の汚染が生じていた時期なんですね。

だから、私だけでなく、同世代の人たちは、子供の頃に小川で遊んだという経験が少なめな世代なのです。

私はこの世代のことを「小川に親しめなかった谷間世代」と呼ぶことにしています。

では谷間世代は具体的にどんな世代なんでしょうか?

水質基準の1つであるBOD値が環境基準の5mg/lを上回っている時期が「川で遊んでない」時期と考え、この時期を10歳前後の年齢で過ごした世代が谷間世代だと定義しようと思います。(10歳前後としているのは子ども時代をキリよく現すためなんであまり深い意味はありません。)

全ての川の汚染の時期が全く同じではありませんので、一概には言えませんが、代表的な川である多摩川の水質汚染の歴史から検証してみようと思います。

多摩川での水質汚染の歴史

この資料によると、だいたい1970年が汚染のピークであり、BOD値は1990年代前半で環境基準の5mg/lをクリアするようになりました。

では、汚染が始まり環境基準の5mg/lを超えるようになったのは具体的にいつだったのでしょうか。探しましたが簡単には見つかりませんでした。それもそのはずです。そもそもBOD値を気にするようになったのが、汚染がピークになった1970年代以降からなので、1970年代以降の水質データは見つかるのですが、それ以前のデータとなるとほとんど見つからないのです。

そんな中、上記資料の中には「多摩川のアンモニア性窒素」の1934年から2009年の75年間の経年変化が記載されていました。

その記載によるとグラフ1960年頃からアンモニア性窒素が急激に高くなっていました。

1960年頃のBOD値は分かりませんでしたが、この頃から汚染は始まったということが、アンモニア性窒素のデータからも裏付けられているようです。

結論

小川に親しめなかった谷間世代とは

1960年から1990年代前半を10歳前後で過ごした世代

と言えると思います。

つまり1950年から1980年代前半生まれの世代ということになります。

※東京近郊で10歳前後を過ごした方が対象

「いやいや俺は十分に小川で遊んだよ~」という方もいるかもしれませんが、そんなあなたは小川に恵まれた幸せ者だと思ってくださいね!

将来再び谷間世代が生じない事を祈ります(^^;

 

自然観を高めよう!

こんばんは。

自然観(しぜんかん)という言葉をご存知でしょうか?

先日「自然はそんなにヤワじゃない 誤解だらけの生態系」(花里孝之/新潮選書)という本を読みましたが、この本に書かれている自然観にとても共感しました。

  1. 人類は、他のあまたの生物種と同じく、地球生態系の一員である。
  2. 人類は、すべての生物たちの活動によってつくられているバランスの中で生きている。
  3. 人類が健やかに暮らしていけるように生態系のバランスを維持することが必要である。

1つめについては、紛れもない事実であることはすぐに解ります。

2つめについても、なんとなくバランスの中で生きていることは実感できます。例えば、空気。人間に必要な酸素ばっかりがあっても、二酸化炭素がなければ、植物に必要な光合成ができないので、両方必要ですよね。

そして3つめ。先の例で言うと、植物の光合成のために二酸化炭素は必要だけど、二酸化炭素は温室効果ガスと言われて、地球温暖化の原因なので多すぎると人間にとって困る。人類が健やかに暮らしていくのにやっぱりバランスが大事というのが解ります。

でもバランスを崩す状態って、ここまでは持ちこたえられるけど、この先はダメといった、境界値みたいなものがありそうですが、この境界値がほとんどの場合わからないから困ったものです。

境界値に達するまでは、普通まったく気づくことはないですからね。

そこで、この本の最後ではこんな言葉も記されています。

「我々は常に生態系全体のバランスを意識しながら行動すべきだ。」

人間が生態系になんらかの影響を与えると、必ずなんらかのバランスが変化するので慎重な対応が求められるということです。

例えば、田んぼの脇をながれる小川(水路)を管理のしやすいコンクリートに変更しようとした場合、どんなふうにバランスがくずれるでしょうか?

こういったことは、ほ場整備でたくさん行われてきましたが、失ったものはないのでしょうか?

この自然観が正しければ、バランスは変化して、何かを失っているはずです。

それは生物種の絶滅の話も当然ありますが、それだけではないでしょう。

それまであたりまえだった、何気ない景色だったり、小川のせせらぎだったり、その小川からあふれる子供の笑顔だったりね。