「専門家コラム」カテゴリーアーカイブ

東京に小川を!(その1)

こんばんは。

かねてから気になっていた本を図書館で見つけることができました。

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「白子川を知っていますか-水辺再生に向けて-」白子川汚濁対策協議会によって平成6年に発行されています。

この本から、水循環のこと、水害との戦いの歴史、水質汚濁がひどかった苦難の時代からの脱出の歴史が学べます。

お勧めの1冊ですね。

特に私が興味を持ったのは、昔の白子川の様子です。

小川がきれいだったと言われる昭和30代のようすを知るには、古老のが語りはとっても貴重です。

その古老の語りの一部を紹介させてください。

『水はきれいで、流れはゆるやかでした。魚も、えらくいました。フナ、メダカ、ドジョウ、砂もぐり、タナゴ、エビもずいぶんいました。ドジョウはずいぶん捕りました。6月ごろ、夜真っ暗な中をカンテラをつけて、えさをつけた流し針で、ナマズやウナギも捕りました。マコモやヨシもずいぶん生えていました。(中略)子どもたちは、いぬかきをして泳いだり川遊びをよくしていました。』

※砂もぐり=カマツカのことと思われる
※カンテラ=携帯用の石油灯

『白子川の西武池袋線の鉄橋の南側ではよく魚とりをして遊んだものです。ここは水の中に草が茂っていたので、ビンドウを仕掛けるのに適していました。(中略)この中に糠(ぬか)の炒ったものや残りごはんを入れて、流されないようにヨシの茎などに紐をつないで夕方仕掛けておきます。翌朝行くと、ドジョウ、フナ、ミヤコタナゴなどが入っていました。』

水草が良く茂り、魚や二枚貝がたくさんいて、子どもが泳いで遊べるくらい水がきれいだったことが伺えます。

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現在の都市地域にこんな場所があるでしょうか?

ほとんど見かけないですよね。

こういう場所で、子どもが遊べば、子どもは、自然からたくさんのことを自ら学びます。川のどこが危ないとかも学びます。

そして、毎日残業でがんばっている大人は、日々のストレスをここで忘れることができます。また明日がんばろうという気持ちが持てるようになります。

さらに親子で一緒に遊ぶことで、親子の絆も深まります。

小川で遊べば、現代社会の問題が解決できてしまうのです。

都市地域には、今こそ、こういったあそべる小川が必要なのです。

最近は、これまでの垂直のコンクリート護岸から、緩やかな傾斜で水辺にに近づけるような場所も少しづつ目にするようになってきましたが、まだまだごくわずかです。

今以上にあそべる小川が増えていくように、活動していくことが求められます。

『東京に小川を!』

昔のような小川が、もし復活したら、遊びたくないですか?

谷戸ならでは小川の風景がある将軍沢

こんばんは。

道端に生える春の野草がよく目につくようになりました。春の訪れを感じる今日この頃です。

さて、先日訪れました、里山の小川をご紹介します。

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埼玉県比企郡嵐山町の将軍澤地区に流れる前川と呼ばれる小川です。都幾川の支流になります。

このあたりの地形は比企南丘陵と呼ばれており、「谷戸」とか「谷津」と呼ばれる丘陵地の谷あいの低地となっています。この谷戸に沿って、自然な雰囲気を残す小川が流れています。

 

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中流域ではコンクリが小川の両サイドを覆っていますが、小川沿いに耕作地が広がり、谷戸ならではの風景が見られます。

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小川の最上流部まで行こうと試みたのですが、深いススキの荒れ地に前進をはばまれ諦めました。

恐らくは耕作地だったと思うのですが今は使用されていないようです。こんな良い感じの小川が側にあるなら私が代わりに使用したいくらいです♪

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3月中旬ということもあり、茶色が目立つ景色ではありましたが、新緑が芽生えると小川の見え方ががらっと変わってくると思います。

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そんな小川のあめんぼ目線映像はこちらをご覧ください。

設定で「画質=1080p」を選ぶと最高画質でご覧いただけます。

里山の雑木林の利用は滑川町のミヤコタナゴを救う(その2)

こんばんは。

昨日のつづきです。

ミヤコタナゴがため池の自然環境に根付くようになるにはどうしたらよいでしょうか?

まず、産卵母貝であるマツカサガイなどの二枚貝が育ちやすい環境が保たれることが必要です。

沼の周辺の雑木林から落ち葉が沼に入り、底に溜まると最終的にヘドロになります。ヘドロがたまると二枚貝は窒息状態になり生きられません。なので落ち葉が沼に入らないようにすることが重要です。

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昔の人は里山の雑木林をよく管理していたとよく言われています。枝や落ち葉を拾って、燃料や堆肥にしていたのです。なので里山の雑木林はきれいだったそうです。そのおかげで、沼に枝や落ち葉が入りにくかったようです。

また、年に1回沼の水を抜いて沼干しをしていたため、ヘドロも定期的に排出され二枚貝が生息しやすい環境が保たれていたそうです。

しかし、現在は生活様式が変化してしまったので、枝や落ち葉を拾うこともなく、沼干しも行われなくなりました。ヘドロが溜まり、二枚貝にとっては生息しにくい環境になっているのです。

 

つまり、二枚貝が育ちやすい環境を作るには、昔のように沼を管理することがとっても重要なんですね。人の経済活動に結びついて雑木林の枝や落ち葉が利用されることが今とっても求められます。

対策が分かっていても簡単には上手くいかないんですね。そういった管理をしてくれる人が集まらないのが現状の問題のようです。

とは言え、里山の雑木林の上手な利用で経済活動にうまく結びき、結果的にミヤコタナゴが自然環境に根付くという将来は必ず来ると思います。

滑川町が本当の意味でミヤコタナゴの住む町になるように応援したいと思います。

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里山の雑木林の利用は滑川町のミヤコタナゴを救う(その1)

こんばんは。

日曜日は久しぶりに小川調査に出かけました。

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まず訪れたのは、埼玉県比企郡滑川町(ひきぐんなめがわまち)にある「滑川町エコミュージアムセンター」です。

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ここでは、国指定天然記念物ミヤコタナゴ(日本固有の淡水魚)を見ることができます。

関東地方に生息するミヤコタナゴは以前はどこにでも見られた魚だったのですが1960年ごろを境に急激に姿を消し、絶滅危惧種に指定されています。現在は千葉や栃木でわずかに生息するのみです。

埼玉県でも絶滅したと考えられていたのですが、1985年に滑川町のため池で偶然発見されて、さいたま水族館で人工繁殖が行われます。その後、1992年に水族館から譲り受けられてエコミュージアムセンターで飼育されています。

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2002年には町内のため池に稚魚200匹を試験放流したそうです。

同施設の担当の方にその後の経過について伺いました。

何回か生息の調査をしたそうですが、うまく自然環境に根付いていないかもしれないとのことでした。

自然を回復するということは簡単でないということを改めて感じさせられます。

では、自然環境に根付くようになるにはどうしたらよいでしょうか?

つづきは、次回のコラムに書きますね。

武蔵野台地に人が住み発展した理由

こんばんは。

タイトルにある武蔵野台地とは、関東平野の荒川と多摩川の間に挟まれた台地のことを言います。

今でこそ、住みたい街No.1の吉祥寺をはじめたくさんの人が住む場所ですが、江戸時代までは見渡す限りの草原が続き、水が乏しい、人がほとんど住んでいない場所でした。

人が住んでいた場所は、丘陵のふもとや川筋・谷筋などの水が利用しやすい場所でした。

人間が生きていくためには水が欠かせませんからね。

ではなぜ武蔵野台地の水が得にくい場所にも人が住み始められたのでしょうか?

その答えは、玉川上水とその分水のおかげだったのです。

順番に説明していきますね。

では、そもそもなぜ、玉川上水がつくられたのでしょうか?

徳川幕府が江戸に開かれると、江戸の町にたくさんの人が住むようになりました。そこに住む町の人達のために小石川上水や神田上水をつくり、飲み水が供給されました。

しかし、江戸の人口が増えるにつれて水が不足してきました。幕府は1653年に玉川兄弟に命じて玉川上水を作る計画を始めました。多摩川の水を江戸に引くようにしたのです。そして苦労の末、1654年に完成し、江戸の人々の飲み水の不足を補うことができたのです。

ここで、玉川上水のすばらしいポイントの一つとして、水路のコース取りがあげられます。武蔵野台地の高い場所(尾根)を狙って水路を掘っていったのです。これにより、玉川上水の北側にも南側にも分水を引くことができたのです。分水によって新田開発が進み、人が住む町になっていきました。

このコース取りが尾根沿いでなかったら、分水が引ける地域がもっと少なかったことでしょう。

とてもよく考えられていたのですね。

ところで、私が住む田無も水に乏しい場所だったそうですが、1696年に田無用水が玉川上水から分水されると周辺の人や田畑を潤したということです。

田無用水ができるまでは、湧水のある谷戸まで水を汲みに行く生活を余儀なくされていたということです。

今では蛇口から水が出るのが当たり前の世の中なので、水道水のありがたみをなかなか感じることは少ないですね。でも、人は水が近くにあるから生きていけるということを忘れてはなりません。

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現在、田無用水は蓋がされて、「やすらぎのこみち」「ふれあいのこみち」という遊歩道に役割を変えています。

長い間、田無の地の生活を支えてきた田無用水が、今度は地域の人々の憩いの小川として新たに役割が変わることを願っています。

参考文献:「玉川上水と分水」(小坂 克信氏)

 

 

日本の原風景 谷戸田

こんばんは。

花粉の時期が始まり、花粉症の私にはつらい時期が訪れております。

さて、先日は埼玉県の鳩山町大豆戸(まめど)を訪れてきました。

その名の通りここでは大豆を栽培しているそうで、大豆が特産品だそうです。

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この大豆戸という場所ですが、いわゆる谷戸(やと)という地形にあります。谷戸とは、簡単に言うと、丘陵地の谷あいの低地のことです。

この谷戸は水田適地として古くから利用されています。

谷戸の構成要素として欠かせないのが、水田(谷戸田(やとだ))の他にため池、水路があります。

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水路を上流に上っていくと、

 

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ため池があります。このため池は周囲の丘陵地に降った雨が地下水となり湧いてきた水が水源となっています。

谷戸は、日本の里山の原風景ですね。でも、こういった里山の風景はやはり開発により減少しているようです。同時に里山に暮らしていたいろいろな生き物たちも危機に瀕しています。

環境省では、全国的な里地里山の保全活用を促進しています。

ちなみに鳩山町がある埼玉県比企郡には、地図でみるとため池がたくさんあります。ため池の数だけ農業の営みがあるということですね。

そのため池ですが、最近問題なのはやはり外来魚の問題です。

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このため池にも、やっぱりいました。ブルーギルの稚魚です。

誰かが放流したのでしょうか。

1回の産卵数が平均的なサイズの個体で21000から36000粒と言われており、驚異的な繁殖力です。これでは在来魚が駆逐されてしまいますよね。

ブルーギルの殲滅には、やっぱり池のかいぼりが効果的なんでしょうね。

 

 

 

姿見の池も「時代を映す鏡」

おはようございます。

前回に引き続いて野川シリーズです。

今回は、野川の最上流部の水源と言われている「姿見の池」です。

国分寺市恋ヶ窪1丁目の「姿見の池緑地公園内」にあります。

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池のほとりのベンチで景色を楽しむ人達で賑わっておりました。

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池の名前の由来は、鎌倉時代、恋ヶ窪が鎌倉街道の宿場町であった頃、遊女たちが朝な夕なに自らの姿を映して見ていたという言い伝えによるそうです。

そんな池ですが、急激な都市化により湧水が減少したことが理由で、昭和40年代に埋め立てられてしまいます。その後、平成13年に東京都と国分寺市によって復元さました。池の水は、1991年に武蔵野線の国分寺トンネルで地下水が湧き出す事故が起きた際にずっと捨てられていた湧水が利用されているそうです。参考(未来へのリポート

ここで注目したいのは、湧水の無い池に対して、当時の社会が「埋立」を要請したということです。

この話から「川の暗渠(あんきょ)化」の話を思い出しました。

「水の日本地図」(朝日新聞出版)の中川晋一郎さんのコラムに、こんなことが書かれていました。

それを抜粋します。

  • 高度経済成長期に東京の多くの川が暗渠化され、そのほとんどが下水道への転用を目的としたもだった。
  • 昭和30年当時の下水道整備率は2割弱で、都内のほとんどの生活排水は直接川へと流れ、ドブ川と化した。
  • 川は強烈な臭いを放ち、市民の願いにより川にふたがされた。
  • 川は、排水路としての当時の社会の要請を受け入れてきた。
    ⇒「川は時代を映す鏡である。」

当時の行政の判断について良い悪いの議論はしませんが、最後の「川は時代を映す鏡である。」という名言がしびれます。

時代によって消滅と復活を経験した姿見の池ですが、「池も時代を映す鏡」なのかもしれません。

この湧水の池も、遊女が顔を映していたように、時代を映す鏡として後世に残って欲しいと思います。

そんな姿見の池のあめんぼ目線カメラ映像はこちらです。

設定で「画質=1080p」を選ぶと最高画質でご覧いただけます。

カモさん、驚かしてごめんなさい。

 

 

やっぱりいいとこ、野川においで♪

こんばんは。

東京都を代表する小川の一つと言えば、やっぱり「野川」は外せません。

1月末の天気の良い日に、野川を久しぶりに訪れました。近隣の方々が散歩に訪れる姿を多く目にしました。

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さて、野川についてあなたはどれくらいご存知でしょうか?

ポイントを整理してみましょう!

  1. 多摩川の支流。
  2. 国分寺崖線沿いを流れる。
  3. 日立製作所中央研究所内に水源がある。

ここで、国分寺崖線とは、立川市から国立市、国分寺市、府中市、小金井市、三鷹市、調布市、狛江市、世田谷区を通って大田区まで続く、延長約25kmに及ぶ、高さ10~20mほどの崖の連なりです。崖の上面は武蔵野段丘面(むさしのだんきゅうめん)、崖の下面を立川段丘面(たちかわだんきゅうめん)と呼ばれています。立川段丘面は古多摩川(ふるたまがわ)が武蔵野段丘を削ってつった河岸段丘(かがんだんきゅう)(川の流れで作られる階段状の地形)であるといわれています。

実際に小平市から小金井市に向けて、新小金井街道を進んで行くと、ぐーんと坂を下るところがあり、国分寺崖線の崖の上と崖の下を感じ取ることができます。

立ち寄ったのは、新小金井街道と野川が交差する貫井南町付近の野川。

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先日降った雪が日陰部分で残っていました。冬なんで周辺の野草はすっかり枯れ模様ですが、日本の原風景のような川の畔(ほとり)を歩いているととっても癒されますね。何か良いひらめきも生まれそうな気がしてきます。

そんな野川のあめんぼ目線の映像はこちらです。水中映像もあるよ!

設定で「画質=1080p」を選ぶと最高画質でご覧いただけます。

 

西東京市「田無」の地名の由来

こんばんは。

今日は、私の住んでいる町、西東京市の「田無」の地名の由来について書きたいと思います。

「田無」といえば西東京市の地名です。2001年に田無市と保谷市とが合併して、現在の西東京市になっています。地域のシンボルとして通称田無タワーが有名です。

この「田無」ですが、漢字からも想像できるように、田んぼが無いところだから「田無」という地名が付いたとする解釈が一般的のようです。

私もつい最近までそうなんだな~と思っていました。

確かに現在の「田無」の地に私は田んぼを見たことがありません。あるのは畑ばかりです。私の自宅の前も畑です。

でも、「田無・保谷の歴史」(著:下田五郎)に記載されている異説をみると、この説が正しいのではと思うようになってきました。

異説とは、「棚瀬(たなせ)」の語尾が同じサ行のシに転訛したものだという説です。

この地域にある谷戸という谷上の地形から湧水が出て、その流れがごく浅い階段状(棚瀬状)だったためという説です。

西東京市谷戸町という町があります。この谷戸町の地形は地名が表す通り、谷上の地形をしています。そして今はこの谷戸からの湧水は少ないようですが、この湧水を水源とする「新川(しんかわ)」と呼ばれる川があるのです。

この新川の流れが、棚瀬状の流れであったのではないかと想像します。

また、著書の中に、日本地名学研究所長の池田末則氏の言葉が記載されており、この言葉にとっても納得感があります。

「日本のどこを探してみても、あるものは地名になり、ないものは地名にならない。例えば、松が一本あれば一本松、二本あれば二本松となるが、松がないからと言って地名にはならない。」とのことです。

「田が無いから田無」は違う気がしてきませんか?

ちなみに、先の新川は、新河岸川水系の白子川の本流につながる源流になるのではないかと考えられています。現在の新川はコンクリートの蓋で覆われ暗渠となり歩道となってしまっています。普段は水の流れはありません。また、白子川の源流という点では、もう一つ、大泉堀という川もあります。

そのお話も改めてしたいと思います。

湧水のシンボル、バイカモが自生する水路

こんばんは。

年末に行った長野県南佐久郡佐久穂町にある妻の友人の別宅へお邪魔させてもらいました。

知らない地へ訪れた際は、恒例の早朝小川調査です。朝の散歩がてら近くの小川へ行くのはウキウキしますね。

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友人のお家の前に水路が流れていたので、この水路沿いに歩いてみました。この水路、山からの水を集めて千曲川へ注ぐ流れのようでした。この日は、朝雪が降っていたので、写真の左下に雪が積もっているのがお分かりでしょうか?

で、注目頂きたいのは、この水草の群生です。湧水のシンボルであるバイカモがたくさん生えていました。

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個体を少量採取したものがこれです。

バイカモは、冷たい流れのある河川や水路などに生育する常緑多年草の沈水植物です。春から秋にかけて梅の花に似た白い小さな花を咲かせます。 これが名前の由来になっているそうです。漢字で書くと「梅花藻」。節から出る白く長い根(不定根)で流されないように水底に張り付きます。

止水域では上手く育たないとのことですが、理由はおそらく光合成のために光を受ける量が少なくなるからだと思います。以前、知り合いの方(有限会社ピクタの陶さん)から聞いた話ですが、ミクリなど、流れのある川に育つ水草は、流されることで葉っぱを横一杯に伸ばすことができるので、光をたくさん受けることができるそうです。止水域では、葉っぱがたくさん光を受けられる状態にはならないので光合成が少なくなるそうです。バイカモでもこの話が当てはまるのだろうと思います。