おはようございます。
前回に引き続いて野川シリーズです。
今回は、野川の最上流部の水源と言われている「姿見の池」です。
国分寺市恋ヶ窪1丁目の「姿見の池緑地公園内」にあります。
池のほとりのベンチで景色を楽しむ人達で賑わっておりました。
池の名前の由来は、鎌倉時代、恋ヶ窪が鎌倉街道の宿場町であった頃、遊女たちが朝な夕なに自らの姿を映して見ていたという言い伝えによるそうです。
そんな池ですが、急激な都市化により湧水が減少したことが理由で、昭和40年代に埋め立てられてしまいます。その後、平成13年に東京都と国分寺市によって復元さました。池の水は、1991年に武蔵野線の国分寺トンネルで地下水が湧き出す事故が起きた際にずっと捨てられていた湧水が利用されているそうです。参考(未来へのリポート)
ここで注目したいのは、湧水の無い池に対して、当時の社会が「埋立」を要請したということです。
この話から「川の暗渠(あんきょ)化」の話を思い出しました。
「水の日本地図」(朝日新聞出版)の中川晋一郎さんのコラムに、こんなことが書かれていました。
それを抜粋します。
- 高度経済成長期に東京の多くの川が暗渠化され、そのほとんどが下水道への転用を目的としたもだった。
- 昭和30年当時の下水道整備率は2割弱で、都内のほとんどの生活排水は直接川へと流れ、ドブ川と化した。
- 川は強烈な臭いを放ち、市民の願いにより川にふたがされた。
- 川は、排水路としての当時の社会の要請を受け入れてきた。
⇒「川は時代を映す鏡である。」
当時の行政の判断について良い悪いの議論はしませんが、最後の「川は時代を映す鏡である。」という名言がしびれます。
時代によって消滅と復活を経験した姿見の池ですが、「池も時代を映す鏡」なのかもしれません。
この湧水の池も、遊女が顔を映していたように、時代を映す鏡として後世に残って欲しいと思います。
そんな姿見の池のあめんぼ目線カメラ映像はこちらです。
設定で「画質=1080p」を選ぶと最高画質でご覧いただけます。
カモさん、驚かしてごめんなさい。