遊べる小川の町、◯◯町

埼玉県比企郡川島町は、埼玉県のほぼ中央に位置している町だ。

北は都幾川・市野川に、東は荒川に、南は入間川に、西は越辺川に接しており、四方を川に囲まれている。地名が示す通り川に囲まれた島と言える。

町は荒川の低地に位置しているため、田園地帯が広がり、多くの水路(小川)が張り巡らされている。

希少な淡水魚の棲む水路もあり、多様性豊かな自然が残されている貴重なエリアだ。

「都会に一番近い農村」というキャッチフレーズが既にあるようだが、田んぼを潤す水路がたくさんあるという事も個人的に強調したいところだ。

水路と言えば、三面コンクリート化されているものが多いが、このエリアの水路は素掘りが多く、このエリアの1つの特徴と言える。

IMG_0409水路を見て歩いていると、こんな浅くて小さい水路にも、小さな魚がいたりする。

一時的に閉じた水域になっていて、人の気配に気づくと、右往左往する小魚の群れが間近に見る事が出来て面白い。

こんな場所なら小さな子どもでも、魚捕りが楽しめるかもしれない。

さてこの魚の正体は?

道路から網で簡単に掬って捕まえられそうかと思いきや、思ったよりもすばしっこい。やはりここは釣ってみることに。

IMG_0412可愛いサイズのコイだ。

運が良いとお手軽な釣りが楽しめるかもしれない。

川島町は、あそべる小川の町だと思う。

そんな川島町の中でも指折りの小川は、都幾川から取水している長楽用水。

長楽用水の水中映像はこちらからごらんう

設定で「画質=1080p」を選 ぶと最高画質でご覧いただけます。

メダカは田んぼで育てるべし!

ミナミメダカの学名である Oryzias latipes は『稲の周りにいる足(ヒレ)の広い』という意味だ。(Wikipedia)

メダカは田んぼと密接な関係にある魚であることをとてもよく表現していると言える。

しかしながら、メダカは絶滅危惧種に指定されているだけあって、簡単にメダカが見られる状況ではもはやない。

メダカの生息できる環境が少なくなっている事が理由だ。

そもそも田んぼが減っている、小川(水路)がコンクリート化されて流れが速すぎる、メダカや小さな生き物が生きていけない程の農薬が使われている、などいくつかの要因が挙げられるが、田んぼが小川と繋がっていないという理由もある。小川の水をポンプで吸い上げて田んぼに供給しているケースがそれだ。

田んぼでは、水が張られる期間、メダカの餌となるプランクトンがたくさん増えるので、メダカにとって良い成長の場となるのだが、田んぼと小川が繋がっていないと、メダカが行き来ができないことになる。

なので、小川を泳ぐメダカがの姿が見られても、稲の周りを泳ぐメダカの姿が見られることは、よりレアなケースと言える。

IMG_0207ならば、稲の周りをを泳ぐメダカを身近に見たいと思い、プラ舟を使って、庭に田んぼを作ってみた。一応、左側が田んぼで、右側が小川(水路)をイメージしている。

IMG_0206苗は、昨年バケツ稲作で収穫した種籾から育てた苗を使った。1ヶ月でこのサイズに成長してくれた。

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そして、上の写真は田植え直後の様子だ。(6月10日)

それから2週間後、稲の成長も順調に始まり、良い感じになってきたが、ここで、気になるのが、ボウフラの発生だ。

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流れのない水辺があるとボウフラが発生しやすくなるが、そこはメダカの力を借りれば、数を抑える事ができる。実際この田んぼでもボウフラは発生したが、メダカの投入後はほとんど見当たらないようになった。

メダカの力を侮ってはならない。

一方で、メダカが一所懸命に狩をしている姿は、ついつい応援してしまう。

遊泳力の差はかなりありそうなのだが、ボウフラも必死に逃げるため、狩はそんなに簡単ではないようだ。

行け!そいつだ!あぁ〜と。

感嘆の声をあげることも割と多い。

ボウフラvsメダカの攻防戦は意外に面白いかもしれない。

サッカーW杯の後は、稲作とメダカ飼育でそんな攻防戦を観戦してみてはいかがだろうか。

『春の小川』はどこにある?

唱歌『春の小川』はご存知であろうか?

実は、歌のモデルとされる小川が、渋谷区にあったというから驚きだ。

モデルとされる小川は、代々木四丁目、五丁目を流れていた、河骨川(こうほねがわ)という小川。渋谷川水系の支流だ。

IMG_5023コウホネという黄色い花を咲かせるスイレン科の水生植物が自生していたことが名前の由来だ。

作詞家の高野辰之が代々木の地に居を構えていた当時は、水田が広がっていて、自宅からほど近いこの小川をモデルに歌を作詞したのではないかと言われている。

しかし、都市化とともに生活排水が流れ、東京オリンピックが始まる直前頃には暗渠になってしまった。

かつての流路は、小川の蛇行を残したまま、遊歩道になっているところもあるが、痕跡がほとんど消滅してしまっているところもある。

渋谷川水系

河骨川は下図の河骨川の谷を流れていた。河骨川は宇田川(うだがわ)の支流であり、宇田川は渋谷川の支流だ。

河骨川の位置を確認してみよう。

薄い緑色が台地で、薄い黄色がより低い場所を示している。

図の中央下部に、宮益坂、道玄坂と記載があるところが渋谷駅。

Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル14-1-off-地名入り編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

以前のコラムでも書いたが、渋谷駅のある渋谷はその名の通り谷に位置しており、渋谷駅のあたりから二本の鹿の角のように谷が延びている。その角の右側は渋谷川(穏田川)が武蔵野台地を削って作った谷であり、左側は渋谷川の支流である宇田川や河骨川が作った谷だ。

河骨川と宇田川の谷が合わさる場所は、ちょうど小田急線の代々木八幡宮駅だ。

標高を示す地図で表示すると、渋谷が谷の街であることがよくわかると思う。

それでは春の小川の痕跡をいくつか紹介したいと思う。

春の小川 水源

IMG_0118車の左側にあるマンション敷地内には、かつて旧侯爵 山内豊影邸の池があり、その池が河骨川の水源の1つであったそうだ。「春の小川 水源ココ」という看板が電柱の上に貼ってあるが、見落としやすい。小川の流れは、写真の左から右。

小田急線沿いの暗渠

IMG_0067小田急線 参宮橋から代々木八幡の区間は、線路沿いに暗渠が残る区間だ。

河骨川と宇田川の合流地点IMG_0065

富ヶ谷一丁目で河骨川が宇田川に合流する。写真は奥から手前に向かって河骨川が流れていた。

宇田川遊歩道

IMG_0053富ヶ谷一丁目から下流の宇田川の暗渠は、レンガを敷き詰めた、遊歩道として整備されている。ゆるい蛇行具合が小川の痕跡を思わせる。遊歩道沿いにはおしゃれなカフェもあるので、散歩の途中に寄ってみると良いかもしれない。

まとめ

今は暗渠となってしまった河骨川であるが、高野辰之が見た春の小川に想いを馳せながら、散歩してみるのはいかがであろうか?


春の小川を歩いてみたくなったら、こちらのぶらり散歩ツアーがおすすめです!

代々木・渋谷の地名・地形・歴史を感じながら散策してみませんか?
https://tabica.jp/travels/4430