石神井川の川の中を歩いてみた。
非日常が味わえる。
人の生活空間とは分断された場所だからだ。
その訳は2つある。
1つは、構造上の理由だ。石神井川上流域は、垂直に切り立った護岸が続く。親水性の川とは真逆である。川底に降りるためには、いくつか設置されている梯子を使って降りる必要がある。もちろんその梯子は、基本的に河川の関係者が使用するものだろう。
もし一般の人がここへ降りようとするなら相当な労力が要るはずだ。一般の人を寄せ付けない構造になっている。
もう1つは、見た目の理由だ。一部個所からは、雑排水が流れていて、汚水が溜まっているのが見える。間違ってもそんなところには入りたくないと考えるのが人の心情だ。その気持ち悪さが人を遠ざけている。
このように、石神井川上流域の中は、人の生活空間と分断された、人が近寄らない場所なのである。
だが、人が近寄らない場所だからこそ、逆に行ってみたくなることもある。何が出てくるのかわからないというドキドキ感だ。
実際に、川底に降り立つと普段は感じない緊張感を感じる。何が起こるか予想がつかないことからか、危険を察知しようとする感覚が研ぎ澄まされているように思えた。人間が本来持っている、身を守るための能力なのだろう。
川底には、小さいテトラポットのようなブロックが敷き詰められていて歩きにくいため、転倒するかもしれないリスクがある。
さらに、急に側面の配管から汚水が吹き出してくるかもしれないリスクもある。
石神井川の中は、常にリスクが隣り合わせだ。その意味では、前人未到のジャングルのようなものかもしれない。前人未到のジャングルを進めば、きっと、いつ敵に襲われるかもしれないというリスクと隣り合わせになるだろうから。
石神井川の中を歩く目的
では、そもそもなぜ石神井川の中を歩きたいと思ったのか?
私の掲げるビジョンとして、あそべる小川を増やす活動をするというのがある。3年以上続けているが、良さげな小川で遊んでばかりで、小川を増やす具体的な活動ができていない事に気がついた。
ちょうど新年を迎えたばかりなので、基本に立ち返り、小川のゴミ拾いからでも始めようと思ったのだ。
そこで、思ったのは、「池の水を全部抜く」というテレビ番組の異常な人気ぶりだ。胴長を履いて、水の中に入って、何が見つかるかのドキドキを楽しんでいるように思えた。恐らく、テレビで観ているだけでなく、実際に胴長を履いて水に入る経験をしたいという人が多いのではないかと思っている。
それならば、胴長を履いて、石神井川の中に入って、ゴミを拾うことをみんなでやったらおもろいのではと思ったのだ。お宝が出てくるかはわからないが、何が出てくるかわからないドキドキを味わえる点は人気の番組と共通していると思う。
なので、まず自分が、石神井川を歩いてみようと思った訳だ。
そして、歩き始めると、さまざまな疑問が湧いてきた。
水の流れがどこから始まっているの?
どんな生き物がいるの?
どんだけゴミがあるの?
この疑問については次回にしたいと思う。