西東京市の地下には地下水堆(ちかすいたい)というものが2つ存在する。西東京市民として、なにげに誇れる地下自慢であるので紹介する。
地下水堆って?
地下水堆とは、その発見者で名づけ親である東京理科大学の吉村信吉さんの定義によると、次のようなものである。
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地形起伏によらず、<strong>局所的に地下水面がドーム状に隆起</strong>しているもの。 |
彼は、多数の井戸から地下水面の高さを調査し、地下水面が盛り上がっていることを発見した。武蔵野台地に4つの地下水堆を発見している。
- 又六地下水堆: 保谷村(西東京市)
- 上宿地下水堆: 保谷村、田無村(西東京市)
- 井荻・天沼地下水堆: 杉並区
- 仙川地下水堆: 三鷹村(三鷹市)
そしてなんと、発見した4つの地下水堆の内、2つが西東京市内にあるのだ。
初めて地下水面の盛り上がりを発見したのは仙川地下水堆であるが、又六・上宿地下水堆を発見したとき、初めてその論文で「地下水堆」と命名したのだ。
そして、又六・上宿地下水堆だが、発見した昭和14年当時は、地表から約2m(又六地下水堆)とが約3m(上宿)とかの位置にあったという。つまり、2、3m穴を掘ると地下水が出てきたということにになる。
こんな水が得やすい場所だったので、昔から人が住んでいたようだ。少なくとも鎌倉時代後期には人家があったとされている。
浅い窪地との関係
彼は、谷戸地域から東へ伸びる浅い窪地と又六・上宿地下水堆との関係性を述べている。
※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させて作ったもの。
この浅く長い窪地は2つあり、白子川のある窪地へと合流するものだ。両窪地とも幅250m、深さ2m未満で、窪地の中央にはシマッポと呼ばれている幅1m、深さ0.5m以内の溝ある。その溝には、豪雨による野水(寄り水)が出た後だけ流れ、普段は流れがない。
この浅い窪地が上宿や又六付近にある理由は地下水堆が関係しているという。
地下水堆の下部が粘土質であり、地下水を滞留させると同時に雨水の浸透を妨げるため、野水または寄り水となって地表に溢れ、その流れが地表を侵蝕したのであろうということだ。
これまで、この地域は豪雨時に野水が発生するという資料を見たことがあるが、地下水堆がその一因であったとは知らなかった。
まとめ
野水の影響を受ける人たちにとっては、地下水堆が歓迎できるものではないかもしれないが、吉村さんが発見した2つの地下水堆が西東京市にあるということは、西東京市民であれば誰かに言いたいネタの一つになるのではないかと思う。
ちなみに野水が発生した後は、一時的にどんな小川ができていたのであろうかとても気になる。
参考
東京市西郊保谷村上宿附近の地下水堆と聚落、淺い窪地 (武藏野臺地の地下水-第五報)
吉村信吉
西東京市2017年 講座 「田無の水と人々の暮らし」
郷土史研究家・田無地方史研究会代表 近辻喜一