先日、月一の石神井川のゴミ拾いに参加してきた。
先月に引き続き、ゴミが多い場所へ出向き、ゴミ袋4袋の量を拾った。長年掃除がされていない場所のためか、割れたビン、茶碗、アンプ、電動工具、バッテリーなど重量物も多かった。
3月の時はかろうじて水が溜まっていた場所であったが、そこにはタバコの吸い殻やペットボトルなど、浮きやすいゴミが目立っていた。一方、4月は完全に水が枯れていたが、浮きやすいそれらゴミは綺麗さっぱり無くなっていた。おそらく雨で増水した時に下流へ流れていったのかもしれない。
この日で、一通りゴミを拾えたので、今後この川にまたゴミが増えていくのかどうか、小さな社会実験的な事をしたいと考えている。
以前のコラムで紹介した仕掛学の考えを利用して、川に神聖なイメージがあるものを置いた場合、ゴミのポイ捨て抑止に効果があるかを試してみたいと思っている。そこで考えたのが稲だ。秋の稲穂は黄金色に輝き、神々しささえ感じられるように、稲には神聖なイメージがあるはずだ。なので、中州のごく一部に稲を植えることが、ゴミのポイ捨て抑止に効果を発揮するのではないかと考えている。
そもそも稲の原種を考えると、河川の氾濫原(河川が氾濫したときに冠水する範囲にある低地)に生息していたといわれているので、河川の中は生息場所としては、適当なのだと思う。ただ、一般的な慣行農法による代掻きをした田んぼが、川の中洲に突然現れたら、警戒心を抱かれるので、あくまでもさりげなくやりたいところだ。そうなると、自然農による稲の栽培方法を取り入れるのが適していると思う。自然農では、事前に育てておいた苗を、草の生い茂った田んぼの中に、一本づつ植えるのだ。なぜ草の生い茂った田んぼかというと、耕さない農法だからだ。ただ、苗が他の草に負けないように、背の大きい雑草は刈り込んでやる手助けは必要だ。この方法であれば、「自生していたのでは?」と思い違うくらいに、自然に育っている雰囲気を出せるのではないかと思っている。
苗を植える時期は6月頃になるが、この頃には、きっと小川の水の流れも復活するだろうし、根がある程度張ってくれれば、雨で増水したときに、あっさり流されることもないと期待している。
4月の自然農の会では、種降ろしといって、苗床をつくり、種籾を撒いて、苗を作る作業を教わった。自分でも苗を作るので、作った苗をこの実験に使ってみようと思っている。