小川についての思い出を会う人に聴くようにしている。共通して言えるのが、子どもの頃に遊んだ楽しい記憶だ。
- 友達と30分歩いて小川へ行き、魚を眺めていた
- 小魚を捕まえた
- ザリガニを捕った(釣った)
- シジミをとって味噌汁にして食べた
この記憶を思い出していくと、自然に微笑みが生まれてくる。故郷の思い出も蘇ってくるからだろう。
今の子ども達が、小川で楽しく遊んだ記憶を、大人になってから語る事ができるのか、心配してしまう。
1960年代の高度経済成長前であれば、小川の汚染や破壊が少なく多くの子どもが小川で遊んだ経験を持っているのに比べ、都市部の小川が希少になっている現在、今の子どもは小川で遊ぶ機会がとても少なくなっていると考えられるためだ。
都市部に暮らす子どもは田舎に暮らす子どもに比べ、その傾向は顕著だと思う。
都市部の子どもが小川に触れるため、田舎へ行くのは良いと思う。大人に連れて行ってもらうパターンだ。でも大人に田舎に連れていってもらわなくても、身近に小川があったら、子どもたちだけでも小川に行ける。前述の思い出は、子ども達だけで小川へ行ったというものも含んでいる。
なので、都市部の子どもが身近な小川へ行きやすいよう、もっと小川が増えたら良いと本気で思っている。
安全目への配慮はもちろん考えないといけない課題であるだろう。
楽しい思い出は、たくさんあった方が良いに決まっている。その一つである「小川で遊んだ楽しい記憶」が、生まれやすい状態になっている事が、良い状態だと思う。子ども世代にそんな状態を与えてあげるのが、大人の役割である。