石神井川の水源を取り囲むようにできた遺跡とは?


こんばんは。

先日、東京都小平市にある鈴木遺跡資料館にいってきました。

この鈴木遺跡は、1974年に、鈴木小学校が作られるときに発見され、発掘調査の結果、石神井川の水源を取り囲むように広がる旧石器時代の大規模な遺跡だったということです。

学芸員の方曰く、当時は石器など道具を作る職人などが集い、賑わった場所だった考えているそうです。

しかし、縄文時代にはいると、水源は鈴木遺跡があった場所から、東に約1kmもずれてしまったようです。

なのでこの時期には、人が住む場所ではなくなって、狩りや木の実の採集の場所へと変わったと考えられています。

ではなぜ水源がずれてしまったのでしょうか?学芸員さんも、そこまでは分かっていないということでしたが、何か地下水脈の状況が、地震とかなんかの影響で変わってしまったんでしょうねと。

現代でも湧き水が枯れてしまう現象はよくあるようです。

記憶に新しいのは、2016年の熊本地震で、塩井社水源(しおいしゃすいげん)という南阿蘇にある湧水池が枯れてしまったそうです。

また、同地震で熊本市の水前寺公園の湧水池も水位が激減したのですが、約1ヶ月の間に水位が戻った例もあります。

このように地震と湧水が関連している例はありますので、縄文時代に入ってから、石神井川の水源を変える地震があったのかもねというのはあながち外れていないのかもしれません。

現代のように、人為的原因として、地下水を使いすぎたとか、地下の工事をして水脈を切断したとかはこの時代は考えにくいでしょうからね。

水源が移動したにせよ、湧水からは小川が流れていたことでしょう。

 

当時のイメージがこちらのサイトにありましたのでご興味のある方はご覧ください。とてもいい感じです^ ^