田無用水の痕跡を辿る散歩のリポート


2017年6月11日、田無用水の痕跡を辿る散歩ツアーを開催し、3名の方にご参加いただきました。

この散歩ツアーは、江戸時代前期に田無村(現西東京市)に飲み水を供給するために玉川上水から分水してつくられた用水路「田無用水」の痕跡を探しながら、最上流まで歩いていく散歩です。

田無用水は、東京都西東京市、小平市を流れていた全長約5.6kmの用水路でしたが、現在は上流部約1kmまで水が流れていますが、それより下流は水は無く、暗渠(フタがされている)もしくは溝が埋まり、痕跡さえ消えてしまったところもあります。

田無用水はなぜつくられたのか?

これには田無村が誕生した歴史的背景と田無村が位置する地理的背景を理解することが必要になってきます。

こうした歴史的・地理的背景の話をしながら、かつての流路を予想し、歩いていきました。

見どころダイジェスト

  1. 田無に田んぼ?田無用水の水を使って石神井川沿いに田んぼがありました。昭和初期まで稲作が行われてました。
    田無用水1
  2. かつて滝があった場所。青梅街道と所沢街道の分岐点付近には、2m程度の崖があり、滝の痕跡を窺わせます。
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  3. 田無神社の境内を横切る。田無用水の文字が見られる看板的なものは、ここにしかありません。
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  4. 田無用水と深い関係のある田無村名主の家    下田家(地図中央)。下田半兵衛さんが田無用水を作るのに尽力されました。田無用水_大正初期_水車2
  5. ここから田柄用水分岐。コンクリのフタが続いていますね。水車もここにあったようです。
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  6. 雨乞いの儀式in橋場。干ばつになると御嶽山から竹筒いっぱいの水を運び、橋場の田無用水で祈祷して雨乞いの神事が行われました。
  7. 用水の立体交差。ローマの水道橋(?)を彷彿させる石樋です。下を流れるのが田無用水で上を流れるのが鈴木用水。「昭和五年十月成」の文字が刻まれてます。田無用水2
  8. 流末が日々変化、生きている田無用水 2ヶ月前は、流末が200mも上流だったんですよ。穴に吸い込まれ地下へ浸み込んでいました。この地下水は何処からまた湧き出すのでしょうか?
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  9. 昔の面影を残す小川の風景。この景色を参加者に見て頂けて良かったです。私のオススメな場所です。
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  10. 田無用水の起点付近。明治初期以降は、この付近で新堀用水から田無用水と関野用水に分岐していたようですが、勝手に侵入できなそうなので、ここまでとしました。
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参加者の感想

感想1 感想2 感想3

散歩のねらい

田無用水は約270年間、田無村の生活を支えてきた貴重な存在であるにも関わらず、西東京市では現在、わずかな痕跡がひっそりと残っているだけです。

歴史的価値がすごくあるのに、市民はあまり関心が無いようです。市民がもっと関心を持った方が良いのでは?なんなら田無用水を復活できないのか?田無用水を知れば知るほどそんな思いが強くなりました。とにかく西東京市民に田無用水の事をもっと知ってもらいたいなと思いました。

そんな思いでこの散歩ツアーを開催しようと思いました。

そしてなにより思うのが、小平市の上流部で水の流れが見られるように、田無用水は生きているということです。2か月前と比べ、流れの先端が200mも下流に伸びていたのです。植物に例えるなら、葉や茎は失ったが根っこの部分で新たな新芽を出そうと虎視眈々としているように見えました。

だから、いつか出てくる新芽を迎えられるように少なくとも流路を整えてあげることが必要だと思うのです。

だけど西東京市のほとんどの流路は暗渠か溝が埋まった状態です。

田無村に再び清流(小川)が流れたらどんな感じでしょう?

清流に魅せられて人も生き物も集まるのだと思います。

そんな未来はいかがでしょうか?

参考
保谷章象一郎著 田無用水