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田無用水を再生すると得られる3つの良い効果~その1


こんにちは。

東京都西東京市に住んでいる私は、西東京市に小川があってほしいな~と常々考えています。

例えば、「西東京市に小川を増やすなら、田無用水の再生」が良いとも考えたりします。

今日は、田無用水の再生という思いを込めて、田無用水を再生すると得られる3つの良いことをご紹介したいと思います。

田無用水って?

まず玉川上水から説明しないといけません。玉川上水は、江戸時代前期、江戸に飲み水を供給するために、多摩川の羽村から四谷大木戸まで地面を掘って作った水路で、玉川兄弟によって1654年に完成したと言われています。

その玉川上水の水を、小平市の喜平橋の辺りから分水して田無村を通り、石神井川へつながるように掘られたのが田無用水です田無用水が開削された時期は、最近の研究によると1700年(元禄13年)±2年と推定されているようです。この水は当時の田無村の人々の生活用水、農業用水として大切に使われてきました。

良いことその1〜水の大切さを知ることができる

江戸時代初期に青梅街道(当時は成木街道)ができる前までは田無村はありませんでした。理由は水が得にくい場所だったからです。田無村を含むこの地域一帯は、地下水位が低く、井戸を掘ってもなかなか水が湧かなかったようです。当時の井戸掘り技術では深い井戸を掘ることもできなかったのです。なので湧水や川の近くではないこの地域は、昔から人が住みつかない場所だったのです。

江戸幕府が開かれると、江戸城修理に伴い漆喰の材料である石灰を運ぶために成木街道が開かれます。そして、石灰運搬の継送り(荷物を宿場から宿場までリレー方式で受け継いで送ること)のため、近くの谷戸地域の住人が強制的に街道沿いに移住させられ、田無宿(田無村)ができたそうです。

もともと水が得にく場所で生活することになるので、当然水に困る訳ですね。なので、谷戸地域から数キロ歩いて水を汲み運んでいたのです。これは大変な労働であったことでしょう。

その後、玉川上水ができ、田無用水が分水されると、田無村の住人は谷戸地域から水を運ぶ苦労から解放されたのです。生活を大きく変えた革命的なことだったと思います。

一方、現在は水道の蛇口をひねれば簡単に水が得られます。だから水があってあたりまえ。水のありがたさを感じることなんて少ないと思います。

でも本当は、水って私たちの生活に欠かせない大切なものなんだということを、田無用水を巡る歴史が教えてくれるのです。

では、現在の田無用水はどうなっているのでしょう?

玉川上水から1日千トンが分水口から田無用水に流されていますが、流水があるところは分水口に近いところだけで、とうてい先の方までは水がきません。

圧倒的に流水量が少ないのです。

また、水路の多くに蓋がされていて、その上が歩道になっている箇所もあります。

その歩道は「やすらぎのこみち」や「ふれあいのこみち」と呼ばれていますが、「田無用水がむかし流れていました」ということを知っている人はどれほどいるのでしょうか?。

約270年間使用された貴重な文化遺産であることをもっと知ってもらうことで、多くの人に「水の大切さ」を学んでもらうきっかけになるでしょう。そしてそのアピールとして一番よいのは、田無用水を再生し、市民に親しんでもらうことではないでしょうか?

では、続きは次回。

参考
・『田無の昔を知ろう』田無市教育委員会
・『夏休み特別教室「田無の昔を知ろう」その2(水と暮らし)』田無市教育委員会
・『田無用水』保谷象一郎 著


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