前回に引き続き、田無にあった小川(水路)のお話しをしたいと思います。
今回は、柳久保用水から田無用水へ接続する水路(黒色)ができた歴史的背景にせまりたいと思います。
明治初期の水不足から生じた水争いと、田無村がその水不足をいかにして克服したか?この困難への対応方法は、現代の私たちにも良いヒントを与えてくれると思います。
上流と下流の水争い
1870(明治3)年、通船事業や東京市中の水量確保のため、玉川上水の分水口が統合されました。
玉川上水の北側にある野火止用水から千川用水まで8つの用水は、それぞれ直接、玉川上水から分水されていたのですが、新たに作られた新井筋(新堀用水)から分水するように1本化されました。
その後、1871(明治4)年に、新井筋の下流の千川用水では、水量が確保できないという問題が生じ、新井筋とは別の用水口となりました。その水積200寸坪(※)は、新井筋を流れて最下流で玉川上水に戻り(帰流)、その下流で千川用水が取水しました。
※水積とは水が流れる断面積で、結果的に水量を意味する。寸坪は1寸四方の面積の単位。1寸坪は約9.1827cm2。
しかし、玉川上水の管轄が民部省土木司から東京府へ移ると、1875(明治8)年3月、新井筋への千川用水分200寸坪と帰流分10寸坪が減らされてしまうのです。
これにより水量が減り水争いが勃発します。
対立構造は、最上流の野火止用水側(野火止村他6ヶ村)と下流側(小川村他18ヶ村)です。
下流側の主張
「新井筋の水量が減ったので調査したら、野火止用水口の板敷が1尺下がっているじゃないか。元に戻してくれ。下流の村に水が流れず生活に困る。」
野火止用水側の主張
「1871(明治4)年の分水口統合以降、数回の水量減少に応じてきた。これ以上無理。」
東京府が水量を減らした結果、野火止用水側がこそっと、取り入れ口の板敷を下げて、野火止用水に水が多く流れるようにしたんでしょうか。勝手に板敷を下げたのが事実であれば、明らかにルール違反なので直ぐに元に戻すのが当たり前のような気がしますが、直ぐに解決する問題ではなかったようです。
この問題は東京府が間に入りますが、解決には長い時間がかかります。1889(明治22)年に、新井筋と野火止用水は取水口が同じでもすぐ下流で2つに分離される方式になり、和解に向かいます。
蛇口をひねれば直ぐに水が得られる今の時代には、想像のつかない話ですね。当時の人たちの生活が用水にいかに頼っていたのかがよく伺えます。
東京市街の水不足による減水
田無用水は当初、田無村だけの使用で、分水口は16寸坪から始まりました。やがて、1870年の分水口の統合により16寸坪から56寸坪に増加します。
1871年には、田無用水から分水して、石神井や練馬までの村々へ水を引き水田を作る目的で、長さ約17.5kmの田柄(たがら)用水が開削されます。
地図では田無駅北側から分水されている水路(紫色)が田柄用水です。途中までしか記載していませんが、石神井川と白子川の間の高台を通り、途中からは田柄川を利用して開削されました。
これに合わせて田無用水の分水口も113寸坪5勺へ増加されます。
しかし、1877(明治10)年、東京市街の水不足の解決のため、分水口は113寸坪5勺が56寸坪5合に半減されてしまいます。
また、突然の行政による水量減らしです。
このため田無用水の水不足は他の用水よりひどい状態になったようです。
水不足を克服した妙案
田無村及び田柄用水沿いの村々(田無村他8ヶ村組合)は、その解決のため新井筋上流の各分水の流末に着目します。
当時、大沼田用水、野中用水、柳久保用水の流末は、5か所で、溜まって消えていました。この流末を柳久保用水に合流させて使用したいと考えたのです。
しかし、田無村他8ヶ村組合は、この工事費用を捻出するために妙案を考えます。
当時、石神井川の水を利用して水車を回していた、陸軍の板橋火薬製造所(以下、板橋火薬とする)は、石神井川の水量不足で水車が回せない時があり困っていました。
そこで、田無用水の流末を田柄用水経由で石神井川に合流させることで、板橋火薬が使用できる水を増やすメリットを提案し、板橋火薬から工事費の助成を受けるのです。
田無村他8ヶ村組合のやり方が、とっても上手いと感じてしまうのは私だけでしょうか。
自分たちの目的を果たすために、他者のメリットも叶えてあげると自分たちだけで実現した場合のコストより安くできてしまうんですね。
その後、1888(明治21)年に、大沼田用水、野中用水を柳久保用水に合流させ、さらに田無用水に合流させることができました。
これが田無用水へ接続する水路(黒色)になります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
田無用水へ接続する水路の背景を知ることで、田無の人たちが、明治初期の水不足をいかに克服したかが理解できたと思います。この困難への対応方法が、現代の私たちへの良いヒントになれば幸いです
参考
近代化を支えた多摩川の水 小坂克信
田無用水関係資料