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続・柳久保新田を支えた用水~〇〇の誇り~

以前の記事で柳久保新田を支えた用水として柳久保用水の事をお伝えしたが、詳細な流路が掴めていなかったため調査中としていた。

今回、正確な流路が掴めたので記録に残しておきたいと思う。

聞き取り調査

先ず初めに、現地の人から話を聞こうと思い、柳久保新田(現東久留米市南町二丁目)の農家の直売所に方にお話しを聞いた。

この直売所では、大根、白菜、サニーレタスなどの新鮮野菜が並ぶ。ラグビーボール程の大きさのサニーレタスを購入する際、用水のことを聞こうと思ったが、直売所の女性の軽快なトークに全くもって主導権を握られてしまった。

「ついでに、このハンサムグリーン(葉物野菜)もどう?共食いになっちゃうけどね(笑)」

どうやら、ハンサムグリーンを売る時のセールストークのようだった。話の上手なこの女性に、意を決して用水のことを尋ねてみた。

祖先は享保期に入植して来た開拓民だということを強調されていた。開拓して生活していくには水が必要で、そのために玉川上水から水を引いてきたのだという。何時の時代かは不明だが、用水の水がある村なので、兵隊さんが駐屯したこともあったそうだ。水が流れなくなってからは、用水跡ににホームレスが寝ていて困ったとか、用水に関する昔話を聞くことができた。

ただ、どのあたりを流れていたのか正確な場所は得られなかった。

用水・河川網図

そこで、今度は東久留米市の図書館へ行って情報を探すことにした。

図書館の職員へ、東久留米市の用水に関する資料は無いか訪ねてみたら、なんと「東久留米市用水・河川網図」というものがあるということだ。「もうず」と言われ最初は何のことかピンと来なかったが、漢字を見てすぐわかった。これなら、東久留米市の地図に暗渠跡が記載されているかもしれない。

ただ、この網図は、市内の別の図書館(中央図書館)にあるということで、しかたなくそちらへ向かった。そして、中央図書館でようやく見つけた「東久留米市用水・河川網図(平成13年作成)」には、私が探していた、セブンイレブン東久留米南町2丁目店以降の流路が記載されていた。

やはり、東久留米市の情報は、東久留米市の図書館で探すのが正解だ。この情報から、グーグルマップのマイマップを更新した。(柳久保用水:金色

まとめ

図書館では「東久留米の江戸時代」(東久留米教育委員会)という本にも出会った。柳久保新田の成り立ちについての記載があった。柳窪村と足立郡指扇村・遊馬村(現さいたま市)などの人々によって開拓されたとのことだ。

見渡す限りの草原を切り開き、屋敷を築き、農地を築いていった先人達の苦労は計り知れないものがあるだろう。そして、その子孫である農家の方たちには、開拓民であることの誇りを大事にしている。そう感じた。東京の農地が減っていく一方であるが、どうか、開拓した農地を守っていって欲しいと思う。また、開拓民の重要なインフラであった用水跡も保存し、後世に残して欲しいと思う。

開発で消えていく前に。

セブンイレブン東久留米南町2丁目店付近の暗渠

『春の小川』はどこにある?

唱歌『春の小川』はご存知であろうか?

実は、歌のモデルとされる小川が、渋谷区にあったというから驚きだ。

モデルとされる小川は、代々木四丁目、五丁目を流れていた、河骨川(こうほねがわ)という小川。渋谷川水系の支流だ。

IMG_5023コウホネという黄色い花を咲かせるスイレン科の水生植物が自生していたことが名前の由来だ。

作詞家の高野辰之が代々木の地に居を構えていた当時は、水田が広がっていて、自宅からほど近いこの小川をモデルに歌を作詞したのではないかと言われている。

しかし、都市化とともに生活排水が流れ、東京オリンピックが始まる直前頃には暗渠になってしまった。

かつての流路は、小川の蛇行を残したまま、遊歩道になっているところもあるが、痕跡がほとんど消滅してしまっているところもある。

渋谷川水系

河骨川は下図の河骨川の谷を流れていた。河骨川は宇田川(うだがわ)の支流であり、宇田川は渋谷川の支流だ。

河骨川の位置を確認してみよう。

薄い緑色が台地で、薄い黄色がより低い場所を示している。

図の中央下部に、宮益坂、道玄坂と記載があるところが渋谷駅。

Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル14-1-off-地名入り編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

以前のコラムでも書いたが、渋谷駅のある渋谷はその名の通り谷に位置しており、渋谷駅のあたりから二本の鹿の角のように谷が延びている。その角の右側は渋谷川(穏田川)が武蔵野台地を削って作った谷であり、左側は渋谷川の支流である宇田川や河骨川が作った谷だ。

河骨川と宇田川の谷が合わさる場所は、ちょうど小田急線の代々木八幡宮駅だ。

標高を示す地図で表示すると、渋谷が谷の街であることがよくわかると思う。

それでは春の小川の痕跡をいくつか紹介したいと思う。

春の小川 水源

IMG_0118車の左側にあるマンション敷地内には、かつて旧侯爵 山内豊影邸の池があり、その池が河骨川の水源の1つであったそうだ。「春の小川 水源ココ」という看板が電柱の上に貼ってあるが、見落としやすい。小川の流れは、写真の左から右。

小田急線沿いの暗渠

IMG_0067小田急線 参宮橋から代々木八幡の区間は、線路沿いに暗渠が残る区間だ。

河骨川と宇田川の合流地点IMG_0065

富ヶ谷一丁目で河骨川が宇田川に合流する。写真は奥から手前に向かって河骨川が流れていた。

宇田川遊歩道

IMG_0053富ヶ谷一丁目から下流の宇田川の暗渠は、レンガを敷き詰めた、遊歩道として整備されている。ゆるい蛇行具合が小川の痕跡を思わせる。遊歩道沿いにはおしゃれなカフェもあるので、散歩の途中に寄ってみると良いかもしれない。

まとめ

今は暗渠となってしまった河骨川であるが、高野辰之が見た春の小川に想いを馳せながら、散歩してみるのはいかがであろうか?


春の小川を歩いてみたくなったら、こちらのぶらり散歩ツアーがおすすめです!

代々木・渋谷の地名・地形・歴史を感じながら散策してみませんか?
https://tabica.jp/travels/4430

原宿・渋谷になぜ坂が多いのか?

原宿駅の表参道口を出て竹下口へ向かうと、まず気づくのは、下り坂だ。さらに竹下口から竹下通りを望むとまた下り坂になっている。

一方、渋谷駅前にも宮益坂とか道玄坂とか坂が多い。

いったいこの坂はなに?と気になったことはないだろうか?

若者や外国人観光客で賑わう原宿・渋谷で、彼らがそんな疑問を持つ事はあまりないと思うが、原宿・渋谷を違う視点で見ることで新しい発見ができるかもしれない。

渋谷周辺の谷

まず見ていただきたいのが渋谷周辺の高低差がわかる地形図だ。
Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル14-1-off-地名入り編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

薄い緑色が台地で、薄い黄色がより低い場所を示している。

図の中央下部に、宮益坂、道玄坂と記載があるところが渋谷駅で、図の中央上部が新宿駅である。山手線の線路がうっすらと見えるのがわかるだろうか。

渋谷駅のある渋谷はその名の通り谷に位置しており、渋谷駅のあたりから二本の鹿の角のように谷が延びている。その角の右側は渋谷川(穏田川)が武蔵野台地を削って作った谷であり、左側は渋谷川の支流である宇田川や河骨川が作った谷だ。

坂の正体

Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル15-1-off 編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

で、原宿駅の坂の正体であるが、渋谷川の支流が作り出した谷の一部であったのだ。谷は明治神宮の清正井(きよまさのいど)のあたりから原宿駅を通り、渋谷川の谷と合わさっている。

今でこそ川は存在しないが、清正井の湧水を水源とする小川が原宿駅の下を通り、渋谷川へ落合っていたのだろう。江戸時代には、原宿のあたりに隠田村(おんでんむら)という村があり、その小川の水を利用して水田を営んでいたそうだ。

水田があったことは明治初期に作られた関東迅速測図からも見て取れる。

Trim関東平野迅速足図+地理院地図1-off -編集
※関東迅速測図(http://www.finds.jp/altmap/rapid_kanto.html.ja)を加工して作成

流行の最先端の原宿であるが、里山の風景が広がっていたかつての様子を、想像することはできるだろうか?

IMG_6614

写真は、以前訪れた東京都あきる野市にある横沢入という里山の風景で、小川の側に水田が広がっている。

あくまでも私の想像がではあるが、小川が流れるこんな里山の風景が原宿にあったのではないかと思う。

一方、渋谷駅前の宮益坂や道玄坂は、渋谷川が作った谷の一部だ。江戸の赤坂御門から大山(神奈川県伊勢原市)まで大山詣りに行くときに、渋谷川を越えるために使われた坂道だ。ちなみに宮益坂は、富士見坂とも呼ばれており、坂の上から富士山を眺める事が出来たそうだ。

富士山を見ながらお茶とだんごで小休止。なんだか昔の人が羨ましい気になってくる。

昔の景色に思いを馳せながら、渋谷川やその支流のあった谷を歩いてみては如何だろうか?

出典:農研機構(http://www.finds.jp/altmap/rapid_kanto.html.ja)