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水量が増えた11月の石神井川

先日、11月の石神井川の川掃除ボランティアに参加してきた。

この日、まず驚いたのが、川の水量の多さだ。ここ数年、石神井川の様子を観察してきたが、自分観測史上、最多の水量であった。

一体なぜこれほどの水量になったのか?それは、東日本に大雨による洪水の被害をもたらした台風19号の影響であることは容易に想像がついた。

神奈川県箱根町では、台風が上陸した10月12日の日降水量として全国歴代1位となる922.5mmを観測したという。

では、同日の石神井川上流がある西東京市ではどうであったのだろうか。気象庁のデータでは、西東京市に隣接する練馬区のデータが公開されているので、それを参考にしたいと思う。10月12日の日降水量は、なんと282mmを観測し、1976年からの観測史上1位となっていた。そのため1989年8月1日の日降水量が233mmで2位となった。30年ぶりに練馬区の日降水量の記録が塗り替えられるほど、石神井川上流域に大雨が降ったということだ。

さて、大雨から4週間も経過したこの日、石神井川は、見たことのない水の深さとなっていた。胴長を着て川に入ると、膝下まで水が来る。水深50cmは超えていた。いつもは表面が見えている岸辺が、水に覆われてしまっていた程だ。恐らく、台風前における水深の2倍以上になっていたと思う。6月の梅雨前までは、この場所の水が枯れていた事を考えると本当に希な事が起きたと言える。

別の場所では、見慣れない箇所から地下水が滲み出ていたのが確認できた。大雨によって地下水位がだいぶ上がったためと思われる。こんな湧水がポイントが他にも出来上がっていて、そこからの湧き水が、川の水量に貢献しているのだ。

各地で災害をもたらした台風であったが、一方で、地下水という恵みがもたらされたようだ。

また、増えたのは水だけでなく、ゴミも増えていた。いつもの清掃場所に2ヶ月ぶりにきたのだが、枯れ草に絡まるポリ袋ががとても目立っていた。増水時に流されてきたものと思われる。他には、お菓子の個包装、ビニール紐、空き缶、タバコの吸い殻、ガラス瓶、陶器のかけら、ライター、ゴルフボール、カード類、空の財布、コンビニ弁当ゴミ、ポリ袋に詰められたモルタルのようなもの、などなど。

それから、少し下流の場所では、大掃除でもしたのか、明らかに家庭ででた不用品の数々がポイ捨てされていた。丸めると米俵くらいの大きさになるゴムマットのようなもの、アイロン、鍋などなど。大量のゴミが収集された。

上の写真はこの日の成果である。年末に向けて、大掃除も始まる時期だろうが、次回は、粗大ゴミを見ないで済む事を期待したい。

川に増えるのは、水量と多様な生き物だけであって欲しい。

原宿・渋谷になぜ坂が多いのか?

原宿駅の表参道口を出て竹下口へ向かうと、まず気づくのは、下り坂だ。さらに竹下口から竹下通りを望むとまた下り坂になっている。

一方、渋谷駅前にも宮益坂とか道玄坂とか坂が多い。

いったいこの坂はなに?と気になったことはないだろうか?

若者や外国人観光客で賑わう原宿・渋谷で、彼らがそんな疑問を持つ事はあまりないと思うが、原宿・渋谷を違う視点で見ることで新しい発見ができるかもしれない。

渋谷周辺の谷

まず見ていただきたいのが渋谷周辺の高低差がわかる地形図だ。
Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル14-1-off-地名入り編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

薄い緑色が台地で、薄い黄色がより低い場所を示している。

図の中央下部に、宮益坂、道玄坂と記載があるところが渋谷駅で、図の中央上部が新宿駅である。山手線の線路がうっすらと見えるのがわかるだろうか。

渋谷駅のある渋谷はその名の通り谷に位置しており、渋谷駅のあたりから二本の鹿の角のように谷が延びている。その角の右側は渋谷川(穏田川)が武蔵野台地を削って作った谷であり、左側は渋谷川の支流である宇田川や河骨川が作った谷だ。

坂の正体

Trim渋谷-標高5mメッシュ-地理院地図(新版)レベル15-1-off 編集※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させ、それを加工して作成

で、原宿駅の坂の正体であるが、渋谷川の支流が作り出した谷の一部であったのだ。谷は明治神宮の清正井(きよまさのいど)のあたりから原宿駅を通り、渋谷川の谷と合わさっている。

今でこそ川は存在しないが、清正井の湧水を水源とする小川が原宿駅の下を通り、渋谷川へ落合っていたのだろう。江戸時代には、原宿のあたりに隠田村(おんでんむら)という村があり、その小川の水を利用して水田を営んでいたそうだ。

水田があったことは明治初期に作られた関東迅速測図からも見て取れる。

Trim関東平野迅速足図+地理院地図1-off -編集
※関東迅速測図(http://www.finds.jp/altmap/rapid_kanto.html.ja)を加工して作成

流行の最先端の原宿であるが、里山の風景が広がっていたかつての様子を、想像することはできるだろうか?

IMG_6614

写真は、以前訪れた東京都あきる野市にある横沢入という里山の風景で、小川の側に水田が広がっている。

あくまでも私の想像がではあるが、小川が流れるこんな里山の風景が原宿にあったのではないかと思う。

一方、渋谷駅前の宮益坂や道玄坂は、渋谷川が作った谷の一部だ。江戸の赤坂御門から大山(神奈川県伊勢原市)まで大山詣りに行くときに、渋谷川を越えるために使われた坂道だ。ちなみに宮益坂は、富士見坂とも呼ばれており、坂の上から富士山を眺める事が出来たそうだ。

富士山を見ながらお茶とだんごで小休止。なんだか昔の人が羨ましい気になってくる。

昔の景色に思いを馳せながら、渋谷川やその支流のあった谷を歩いてみては如何だろうか?

出典:農研機構(http://www.finds.jp/altmap/rapid_kanto.html.ja)

蛇行が凄過ぎる武庫川の上流部

先日兵庫県の武庫川(むこがわ) 上流部を訪れた。

神戸に行く用事があったため、兵庫県の小川を探していた際、上流部の一部が多自然型工法で河川改修がされている武庫川にいきついた。

事前に、川筋を把握するため地図とにらめっこしていると、面白いことに気ついた。あまり見たことのない川の蛇行だ。

「話が横道に逸れる」という表現があるが、この表現がぴったりに思えた。

川が、山から海へ向かって蛇行を繰り返して流れるように、面白い物語は、話がいろんな方へ流れつつ、おわりに向かうものだ。決して、一直線の単調な流れではつまらないはずだ。

統合武庫川の流れも、くねくねと向きを変え流れているが、およそ南から東南への流れが、大きく北東へ蛇行する場所がある。まるで話が横道に逸れてなかなか戻って来ない状態のようだ。

具体的には上図の矢印に注目してほしい。前に約3km進む間に、約4km横道に逸れて帰ってくる感じだ。

周辺の川(千種川、加古川、淀川)と比較しても、武庫川のようにカーブのきつい蛇行は見られない。

武庫川拡大しかも、拡大してよく見ると、横道に逸れる前は180度向きを変えるヘアピンカーブにもなっている。

マリオカートのコースにぴったりかもしれない。

ちょっと特別な場所だと思う。

では、なぜこんな蛇行をしているのだろうか?

地図を航空写真にしてみたら答えがわかった。

武庫川-航空写真武庫川の流れに立ちはだかる山があるではないか。

この山を避けるように東回りの谷筋を流下しているようだ。川の気持ちになってみると、180度向きを変えずに西回りで前に進みたくなりそうだが、西回りの谷筋は、川にとって進めないルートだったのだろう。

都市部に住んでいると、河川改修によって直線化する川が多いので、ヘアピンカーブのような蛇行や、横道に逸れてなかなか戻ってこない話のような蛇行を見られるのはとっても貴重だ。

参考:川の名前を調べる地図

平らだと思ってたけど、実は…

私は西東京市に住んでいるが、この辺りは基本的に平地だ。

もちろん石神井川があるので、その周辺はざっくり5mくらいの高低差があるし、窪地も点在している。

であるが総じてたいらな土地だ。

しかし、地図で新河岸川水系の川(小川)をみてみると、多くの川(小川)が北東から南東のように東向きに流れている。

これはなぜだろうか?

田無周辺カシミール3Dそう、水が高い場所から低い場所へ向かって流れているので、土地が西から東へなだらかに傾斜しているからだ。

この辺りは、武蔵野台地と呼ばれる台地上にあり、この台地は青梅を頂点に扇状に東へ低く傾斜している。

標高は青梅で約190m、武蔵野台地中央部にある、田無で約60mだ。その間の距離が約26kmなので平均約200mで標高が1m変わる計算だ。

青梅街道を青梅へ向いて歩いていると、200m先を見通すことはできるが、1m高いというのは、そういう目で見ない限り気づかない。でもそういう目で見ると、なんとなく1m高いように見える。

青梅街道を通る時があれば、自分の目で勾配があるかをチェックしてみてはいかがだろうか?

ちなみに武蔵野台地のように武蔵野っていう響きは、なんとなく洒落たイメージを持ってしまう。

これは人気の高い吉祥寺のある武蔵野市と結びついたイメージが多いに関係しているだろう。

そうすると、武蔵野台地に住んでいることを利用して、『武蔵野に住んでいます!』と私のように大袈裟な言い方をする輩が登場する。

共感が得られなそうであるが、しばらく続けていこうと思う(笑)

※図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させて作ったもの

西東京市の地下にある珍しいものとは?

西東京市の地下には地下水堆(ちかすいたい)というものが2つ存在する。西東京市民として、なにげに誇れる地下自慢であるので紹介する。

地下水堆って?

地下水堆とは、その発見者で名づけ親である東京理科大学の吉村信吉さんの定義によると、次のようなものである。

彼は、多数の井戸から地下水面の高さを調査し、地下水面が盛り上がっていることを発見した。武蔵野台地に4つの地下水堆を発見している。

  • 又六地下水堆: 保谷村(西東京市)
  • 上宿地下水堆: 保谷村、田無村(西東京市)
  • 井荻・天沼地下水堆: 杉並区
  • 仙川地下水堆: 三鷹村(三鷹市)

そしてなんと、発見した4つの地下水堆の内、2つが西東京市内にあるのだ。

初めて地下水面の盛り上がりを発見したのは仙川地下水堆であるが、又六・上宿地下水堆を発見したとき、初めてその論文で「地下水堆」と命名したのだ。

そして、又六・上宿地下水堆だが、発見した昭和14年当時は、地表から約2m(又六地下水堆)とが約3m(上宿)とかの位置にあったという。つまり、2、3m穴を掘ると地下水が出てきたということにになる。

こんな水が得やすい場所だったので、昔から人が住んでいたようだ。少なくとも鎌倉時代後期には人家があったとされている。

浅い窪地との関係

彼は、谷戸地域から東へ伸びる浅い窪地又六・上宿地下水堆との関係性を述べている。

谷戸の浅い窪地10倍地名入り完成※上図は国土地理院の基盤地図情報・数値標高モデルのデータをカシミール3Dで表示させて作ったもの。

この浅く長い窪地は2つあり、白子川のある窪地へと合流するものだ。両窪地とも幅250m、深さ2m未満で、窪地の中央にはシマッポと呼ばれている幅1m、深さ0.5m以内のある。その溝には、豪雨による野水(寄り水)が出た後だけ流れ、普段は流れがない。

この浅い窪地が上宿や又六付近にある理由は地下水堆が関係しているという。

地下水堆の下部が粘土質であり、地下水を滞留させると同時に雨水の浸透を妨げるため、野水または寄り水となって地表に溢れ、その流れが地表を侵蝕したのであろうということだ。

これまで、この地域は豪雨時に野水が発生するという資料を見たことがあるが、地下水堆がその一因であったとは知らなかった。

まとめ

野水の影響を受ける人たちにとっては、地下水堆が歓迎できるものではないかもしれないが、吉村さんが発見した2つの地下水堆が西東京市にあるということは、西東京市民であれば誰かに言いたいネタの一つになるのではないかと思う。

ちなみに野水が発生した後は、一時的にどんな小川ができていたのであろうかとても気になる。

参考

東京市西郊保谷村上宿附近の地下水堆と聚落、淺い窪地 (武藏野臺地の地下水-第五報)
吉村信吉

西東京市2017年 講座 「田無の水と人々の暮らし」
郷土史研究家・田無地方史研究会代表 近辻喜一

小川の流れを辿ると地域の〇〇が見えてくる

小川の流れを地図で辿っていくと、いろいろな地名を目にすることになる。その中でも、地形に関係する漢字を含む場合は、そこへ実際に行ってみると、その高低差を感じことができ面白い。

地域の地形が見えてくる。

私の住んでいる西東京市並びに近隣地域の例を挙げてみたいと思う。

谷戸(やと)

西東京市に新川という川がある。といっても雨が降った時に水が流れるだけで普段は水は流れていない。流路のほとんどは暗渠になっている。

その川の上流を辿ると、西東京市谷戸町にあたる。ちょうど谷戸小学校の前あたりだ。

IMG_5824新川の暗渠

谷戸というだけあってゆるい谷状の地形になっていて、昔はこの谷戸から水が湧き、新川を形作っていた可能性がある。

Google Earthで標高差を見ると、新川の始まりの場所は、周辺より2m程低い地形をしている。実際に行ってみると、そのような土地の高低差を見ることができる。

沢(さわ)

東久留米市を流れる落合川の周辺には、沢(さわ)が付く地名がいくつかある。南沢、前沢だ。落合川やその支流の流れが「沢」であり、ここから地名が付いたと思われる。

沢の中心部(水の流れ)へ近づくにつれて土地が低くなっていくのが感じとれるだろう。

沢については辞書によって定義が異なるようだが、落合川の支流を例にとると、低地、浅い、植物が茂っている、細い川という要素をもっている。

IMG_7652沢頭(さがしら)の流れ(落合川支流)

沢登りをするような、山間の小さな流れとはまた異なる趣である。

沢は小川のひとつと言えそうだ。

窪(くぼ)

西東京市芝久保という地名がある。一般的に「久保」は「窪」の当て字なので、窪地がある可能性が高い。芝久保の場合は、例外ではなく、実際に窪地は存在する。

芝久保の地名が地形に由来していることが想像できる。

ちなみに「さいかち窪」という小平霊園にある窪地は黒目川の最源流部であり、2~3年に一度くらい水が湧き出る状態が見られるそうだ。

このように「窪」が小川の源流部になっているケースもある。

まとめ

地名に見かける地形に関係する漢字を3つ紹介した。

小川へ訪れる際、この漢字を含む地名を発見したら、その漢字が示す地形をしているか、歩きながらぜひ確かめてみて欲しい。

地域の地形が見えてくるはずだ。

辛いだけの上り坂は、地域の地形を感じる貴重な資源に見えてくることだろう。

日本の原風景 谷戸田

こんばんは。

花粉の時期が始まり、花粉症の私にはつらい時期が訪れております。

さて、先日は埼玉県の鳩山町大豆戸(まめど)を訪れてきました。

その名の通りここでは大豆を栽培しているそうで、大豆が特産品だそうです。

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この大豆戸という場所ですが、いわゆる谷戸(やと)という地形にあります。谷戸とは、簡単に言うと、丘陵地の谷あいの低地のことです。

この谷戸は水田適地として古くから利用されています。

谷戸の構成要素として欠かせないのが、水田(谷戸田(やとだ))の他にため池、水路があります。

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水路を上流に上っていくと、

 

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ため池があります。このため池は周囲の丘陵地に降った雨が地下水となり湧いてきた水が水源となっています。

谷戸は、日本の里山の原風景ですね。でも、こういった里山の風景はやはり開発により減少しているようです。同時に里山に暮らしていたいろいろな生き物たちも危機に瀕しています。

環境省では、全国的な里地里山の保全活用を促進しています。

ちなみに鳩山町がある埼玉県比企郡には、地図でみるとため池がたくさんあります。ため池の数だけ農業の営みがあるということですね。

そのため池ですが、最近問題なのはやはり外来魚の問題です。

IMG_5859 IMG_5864

このため池にも、やっぱりいました。ブルーギルの稚魚です。

誰かが放流したのでしょうか。

1回の産卵数が平均的なサイズの個体で21000から36000粒と言われており、驚異的な繁殖力です。これでは在来魚が駆逐されてしまいますよね。

ブルーギルの殲滅には、やっぱり池のかいぼりが効果的なんでしょうね。

 

 

 

やっぱりいいとこ、野川においで♪

こんばんは。

東京都を代表する小川の一つと言えば、やっぱり「野川」は外せません。

1月末の天気の良い日に、野川を久しぶりに訪れました。近隣の方々が散歩に訪れる姿を多く目にしました。

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さて、野川についてあなたはどれくらいご存知でしょうか?

ポイントを整理してみましょう!

  1. 多摩川の支流。
  2. 国分寺崖線沿いを流れる。
  3. 日立製作所中央研究所内に水源がある。

ここで、国分寺崖線とは、立川市から国立市、国分寺市、府中市、小金井市、三鷹市、調布市、狛江市、世田谷区を通って大田区まで続く、延長約25kmに及ぶ、高さ10~20mほどの崖の連なりです。崖の上面は武蔵野段丘面(むさしのだんきゅうめん)、崖の下面を立川段丘面(たちかわだんきゅうめん)と呼ばれています。立川段丘面は古多摩川(ふるたまがわ)が武蔵野段丘を削ってつった河岸段丘(かがんだんきゅう)(川の流れで作られる階段状の地形)であるといわれています。

実際に小平市から小金井市に向けて、新小金井街道を進んで行くと、ぐーんと坂を下るところがあり、国分寺崖線の崖の上と崖の下を感じ取ることができます。

立ち寄ったのは、新小金井街道と野川が交差する貫井南町付近の野川。

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先日降った雪が日陰部分で残っていました。冬なんで周辺の野草はすっかり枯れ模様ですが、日本の原風景のような川の畔(ほとり)を歩いているととっても癒されますね。何か良いひらめきも生まれそうな気がしてきます。

そんな野川のあめんぼ目線の映像はこちらです。水中映像もあるよ!

設定で「画質=1080p」を選ぶと最高画質でご覧いただけます。

 

西東京市「田無」の地名の由来

こんばんは。

今日は、私の住んでいる町、西東京市の「田無」の地名の由来について書きたいと思います。

「田無」といえば西東京市の地名です。2001年に田無市と保谷市とが合併して、現在の西東京市になっています。地域のシンボルとして通称田無タワーが有名です。

この「田無」ですが、漢字からも想像できるように、田んぼが無いところだから「田無」という地名が付いたとする解釈が一般的のようです。

私もつい最近までそうなんだな~と思っていました。

確かに現在の「田無」の地に私は田んぼを見たことがありません。あるのは畑ばかりです。私の自宅の前も畑です。

でも、「田無・保谷の歴史」(著:下田五郎)に記載されている異説をみると、この説が正しいのではと思うようになってきました。

異説とは、「棚瀬(たなせ)」の語尾が同じサ行のシに転訛したものだという説です。

この地域にある谷戸という谷上の地形から湧水が出て、その流れがごく浅い階段状(棚瀬状)だったためという説です。

西東京市谷戸町という町があります。この谷戸町の地形は地名が表す通り、谷上の地形をしています。そして今はこの谷戸からの湧水は少ないようですが、この湧水を水源とする「新川(しんかわ)」と呼ばれる川があるのです。

この新川の流れが、棚瀬状の流れであったのではないかと想像します。

また、著書の中に、日本地名学研究所長の池田末則氏の言葉が記載されており、この言葉にとっても納得感があります。

「日本のどこを探してみても、あるものは地名になり、ないものは地名にならない。例えば、松が一本あれば一本松、二本あれば二本松となるが、松がないからと言って地名にはならない。」とのことです。

「田が無いから田無」は違う気がしてきませんか?

ちなみに、先の新川は、新河岸川水系の白子川の本流につながる源流になるのではないかと考えられています。現在の新川はコンクリートの蓋で覆われ暗渠となり歩道となってしまっています。普段は水の流れはありません。また、白子川の源流という点では、もう一つ、大泉堀という川もあります。

そのお話も改めてしたいと思います。

川底にあるこのブロックはなんのためにあるの?

 

こんばんは。

今日は、ビオトープ管理士という資格試験を受けてきました。こんなに真剣に勉強したのも何十年ぶりでしょうか。普段使わない頭を使うっていうのもたまには良いかもしれません。

さて、先日東久留米市を流れる落合川沿いを歩いているときに面白い話を聞いたので紹介します。

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ここは、夏場には、小学生が飛び込んで遊ぶような場所で、川の深さはけっこう深い場所です。

落合川に限りませんが、川に段差があると、時間が経過すると段差の下の部分がどんどん深くなっていくそうです。

滝壺を考えると、この現象はなんとなく理解できます。

で、段差の下の砂や泥が削られていくと、それはどこに行くでしょうか?

少し下流の箇所に溜まっていきます。

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そうすると溜まった砂や泥の上に水草が茂るようになってきます。

水草が茂るようになるとさらに、その付近に砂や泥が溜まってきます。

上の写真の川の中の緑は、以前は存在していなかったそうです。

そして、川の中が上の写真のようになってくると、いざ大雨が降った時に、川の流れに支障をきたすおそれがでてくるそうです。

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この治水上の問題を解決するために、川の段差の下に、コンクリートのブロックを置いて、段差による水が底を削る作用を抑えているとのことです。