西東京市「田無」の地名の由来


こんばんは。

今日は、私の住んでいる町、西東京市の「田無」の地名の由来について書きたいと思います。

「田無」といえば西東京市の地名です。2001年に田無市と保谷市とが合併して、現在の西東京市になっています。地域のシンボルとして通称田無タワーが有名です。

この「田無」ですが、漢字からも想像できるように、田んぼが無いところだから「田無」という地名が付いたとする解釈が一般的のようです。

私もつい最近までそうなんだな~と思っていました。

確かに現在の「田無」の地に私は田んぼを見たことがありません。あるのは畑ばかりです。私の自宅の前も畑です。

でも、「田無・保谷の歴史」(著:下田五郎)に記載されている異説をみると、この説が正しいのではと思うようになってきました。

異説とは、「棚瀬(たなせ)」の語尾が同じサ行のシに転訛したものだという説です。

この地域にある谷戸という谷上の地形から湧水が出て、その流れがごく浅い階段状(棚瀬状)だったためという説です。

西東京市谷戸町という町があります。この谷戸町の地形は地名が表す通り、谷上の地形をしています。そして今はこの谷戸からの湧水は少ないようですが、この湧水を水源とする「新川(しんかわ)」と呼ばれる川があるのです。

この新川の流れが、棚瀬状の流れであったのではないかと想像します。

また、著書の中に、日本地名学研究所長の池田末則氏の言葉が記載されており、この言葉にとっても納得感があります。

「日本のどこを探してみても、あるものは地名になり、ないものは地名にならない。例えば、松が一本あれば一本松、二本あれば二本松となるが、松がないからと言って地名にはならない。」とのことです。

「田が無いから田無」は違う気がしてきませんか?

ちなみに、先の新川は、新河岸川水系の白子川の本流につながる源流になるのではないかと考えられています。現在の新川はコンクリートの蓋で覆われ暗渠となり歩道となってしまっています。普段は水の流れはありません。また、白子川の源流という点では、もう一つ、大泉堀という川もあります。

そのお話も改めてしたいと思います。